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2012年8月6日。 結局あの日、僕は曜のあとを追わなかった。というより、追えなかった。 僕にはもう、彼女に何を言う資格もないのだと思った。 そしてあの日から届くようになったメール。助けを求めるそれを、僕はすべて無視したのだ。 少年時代に覚えたあの罪悪感は、今でも僕を固く縛っている。 スマートフォンを持つようになってから、僕はあのメールをパソコンからスマートフォンに転送した。それから何度機種変更しても、結局あのメールたちは僕のポケットに入るこの小さな機械に
2012年6月4日。 付き合ってから一年が経った。 一年記念日の今日、僕たちは格好つけたくて、はじめて夜に二人でご飯を食べに行くことにした。 とはいっても、お酒なんて飲めないし、あまり気取ったお店に行っても僕も曜も落ち着けないことは分かっているから、ずっと入ってみたいと話していた大衆向けのイタリアンのお店。 それも、予約を取ったのはディナーの開始時間と同じ十七時だ。 僕たちは僕たちにできる限りのお洒落をして、すました顔で「こんなお店行き慣れている」とばかりに
2012年3月13日。 卒業式が終わった。 これで僕たちは名実ともに、この学校で最上級生となった。 吹奏楽部は卒業式中、卒業生の入退場の音楽や国歌、校歌の演奏をする。部員の皆はもう帰っただろう。僕は何となく、誰もいない校舎を歩きたくて、少しだけ残っていた。 曜は同じパートの先輩たちと打ち上げに行くと言って先に帰ったから、今日はこのままただ帰ればいい。大体の人は曜と同じように卒業した先輩と、あるいは同級生たちと、浮いた時間を浮いた気持ちで過ごしている
2012年1月21日。 荒い呼吸ががらんどうの家に響く。 外では水っぽい雪が降っていて、窓は中と外との気温差によって結露している。石油ストーブは僕らの呼気と同じくらいの声量で忙しなく部屋に生暖かい空気を吐き出していた。 曜の真っ白な肢体は、僕に家の前の砂利道に積もる雪を想像させる。触れると汗で微かに滲んでいるのが余計に雪のようだった。 背中の側から裸の曜を抱きしめて、その長くて黒い艶やかな髪に顔を埋める。曜のにおいはいつでも僕を安心させてくれるんだ。赤い屋根に
「おう、お前、曜から何か聞いてるか?」 「何かって、何です、先生」 廊下を歩いていると、背後から曜の担任の明石先生が声をかけてきた。 時刻は十二時十三分。給食当番の僕は、給食の野菜スープを持って教室に入るところだった。 「とりあえず、これ置いてきますね」 そう言ってスープを置きに行く。 自慢じゃないが僕は非力だ。クラスの男子で腕相撲をしたら、まず間違いなく下から三番目までには入るはずだ。もしかすると、一番力が強い女子に負けることもあるかもしれない。 何が言い
2011年10月4日。 十月になると秋の風が肌でも感じられるようになる。 僕と曜は、興奮が冷めないままに学校から曜の家を目指していた。 あの夏の祭りの日から、僕と曜は学校からの帰り道、他に誰も居なくなった裏路地辺りから手を繋ぐのが習慣になっていた。曜の手はいつも少しだけ汗で湿っていて、そしてひんやりと冷たい。 その手の冷たさで、触れた瞬間に身体がびっくりしてしまうような季節になったのだと実感していた。 「芸術の秋、だからね!」 曜は心底嬉しそうにそう言って
バスで駅に降り立ち、そのまま普段なら歩いて五分とかからないであろう祭りの会場、出店が立ち並ぶ通りに着く頃には、段々と空が夕暮れの色に染まり始めていた。 この祭りが終われば、部活のイベントを残して僕の夏休みはもう終わったも同然。だからか、その夕暮れの色が夏の終わりを告げる蜻蛉の姿に見えてきて、少しだけ寂しくなった。 通りは大勢の人で埋め尽くされている。 どこにこれ程の人が隠れていたのかと、不思議になるくらい沢山の人がいた。普段は数えられるくらいしか人が居ないこの街も
2011年8月6日。 当時、僕の家は酷く貧乏だった。 父子家庭でお金もないから旅行とは縁がなかったし、そういう意味で夏休みというものが来る度に憂鬱さを感じていたと思う。 周囲の友達が日本全国、時には海外まで行って休みを楽しんでいるのを、指をくわえてみているしかなかった中学生が感じる切なさ、悔しさ、やるせなさというものは、案外大きかった。 だけど、そんな境遇が母子家庭で、同じように旅行なんかとは縁がなかった曜と僕を繋いだのだ。 お父さんの給料日は毎月五日で、貧
木製の扉は十年前の記憶の中でさえ古くて薄く、強くノックしたら破れてしまいそうだった。 だというのに今、目の前に立ちふさがるそれはささくれだってのぶは錆び、最早扉の用を為さないのではないかと思うほどに一層古くなっていた。 十年という月日の長さを改めて感じる。 冷静に考えれば、それだけ長い時が経った今、この家に彼女が住んでいるかは分からない。 だけれど僕には確信があった。 今も彼女はここに居るのだという確信が。 扉の向こうからは一家の団欒とでもいうべき声が聞