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丸山真人「地域通貨論の再検討」

はじめに
 丸山はこの論文において、地域通貨の再生を考えるうえで欠くことのできない理論的前提と、地域通貨の使用によって可能となる新しい人間経済のあり方について、検討している。
1.広義の経済学と生命系
 これまで経済学が扱ってきた市場経済を、2つの側面に大別して分析している。まず1つは、人間の生活を維持するために必要な物質的要求を、自然と人間との物質代謝および人間間のやり取りを通じてみたす側面であり、2つめは費用や手間を省いて最大化をはかる側面である。丸山は前者を技術・制度的側面、後者を節約的側面とし、それぞれを詳しく検討する。その結果、市場経済の2つの側面である、技術的・制度的側面と節約的側面ともに人間の経済のすべてを説明しつくせるものではないという。そして、広義の経済学のパラダイムを得るためには、従来の経済学に学びつつ、その枠組みを超える視座の獲得が必要であると主張する。
2.地域共同体のエコノミー
  アリストテレス(B.C.384-B.C.322 )の時代には、経済とは「家」を管理する術を意味していた。この「家」とは、単なる「家族」や「家庭」を指すのではなく、共同生活者の居住の場であり、生命の維持・再生産を基本として生活に必要な者の生産や消費が行われていた。
 ただし、「家」は完全に閉ざされたものではなく、地域共同体の基本となる単位であり、互酬や再分配を通じて相互に結び付けられている。
 ところで、このような共同体においても市場が存在しないわけではない。古代アテネにおいては、アゴラと呼ばれる地域市場が存在していた。
 丸山は、ウィーン出身の経済学者であるカール・ポランニー(1886-1964)の分析に従いながら、古代アテネにおける非市場経済の制度的特徴を概観する。ここで明らかになるのは、経済が地域共同体を基本的な枠組みとして、完結した形で現れており、共同体間の関係が無秩序に内部に及ばないことと、経済活動の基層をなしている単位が、農業を出発点として展開される生産=消費の場としての「家」であるということである。また、非市場経済において、交易や市場、貨幣もすでに経済を構成する要素として知られており、それらは互酬と再分配によって制度化されていた経済を補完する限りにおいて、非市場社会に組み入れられていた点も重要である。
3.商品交換の内側からのめくり返し
 市場経済においては、交易、市場、貨幣はいずれも共同体間で生じた商品交換が発展し、共同体を解体しながらその内部に浸透することにより一般化したものである。その過程において地域共同体固有の交易、市場、貨幣は存在意義を失った。
 丸山は共同体が解体し、市場経済が一般化する際に必要とされる労働力の商品化を、「特殊な手続き」と表現する。労働力の商品化は、15世紀末から19世紀にかけての「囲い込み」を通じて行われた。
 ひと握りの地主によって土地の私有化が進められる一方で、大量の農民が土地耕作権、入会権を失い、貧民となった。大量の貧民は無産労働者として労働市場に投入され、大工場制度が整い、市場経済が本格的に商品経済を開始することとなった。
 「囲い込み」は、自然と人間との有機的な関係を切断し、人間は無産労働者、自然は資源とみなされるようになった。また、「家」も生産=消費の場としてではなく、消費物資を市場で購入し、購買手段を得るために市場に売り出す労働力を維持・再生産するための場となる。そして、貨幣も「家」の自立を補足するのではなく、労働力商品の販売と消費物資の購入とのバランスによって支えるものとなる。
 「囲い込み」を前提として成り立つ人間の経済は、様々な問題を抱えている。人間と自然が切り離されたことにより、環境問題はますます悪化・複雑化している。こうした危機から抜け出す手段として、市場経済に対して歯止めをかけることは当然なされるべきであろうが、もうひとつの道筋として、イヴァン・イリイチのいう「現代化された貧困」から脱却、つまり市場経済に依存することのない人間の生活の構築をめざすことも重要であろう。
 丸山はカナダのヴァンクーヴァー島における、地域レベルでの完結を目指した交易・交換の実験として、LETS(Local Exchange and Trading System)の例を紹介している。
 LETSでは、グリーン・ドルと呼ばれる、コンピュータで管理される帳簿上の貨幣によってやり取りが行われる。これによって、現金での取引のようにあらかじめ資金を用意する必要はなく、また債務を返済する必要もない。グリーン・ドルは帳簿上の貨幣であり、また投資目的の利用はできないため、地域の外部へ流出してしまうことなく、地域内を循環し続ける。とはいえ、LETSは完全に外部との関係を閉ざしたものではなく、必要に応じて地域経済を外部に対して開いたり、閉じたりすることができるようになっている。
 LETSを通じてみた人間関係は、市場において商品交換者としてみた場合と異なり、商品交換の形式は残しつつも、地縁的な互酬関係をあらたに形成するものである。また、労働のあり方についても、賃労働と家事労働とに分断されたものではなく、「家」を中心とした共同的な生産=消費活動を再び取り戻すものになるだろう。
 人間の経済が市場経済から脱却する筋道は、時計の針を逆回転させるものではなく、商品交換関係を突き抜けて、新しい人間関係を創造する試みであり、人間の経済を生命系の営みとして再び生きている自然のなかに埋め戻す可能性をひらくものである。

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