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過去からの贈り物

久しぶりに音楽と向き合う生活がやってきた。

約2年ぶり。

2年前までは弾き語りやイベントで人前で何かをさせていただいていた。
舞台に立たなくなったきっかけはこのご時世になってから。だけどそれは「たまたま」であって本当はもう少し前から気持ちが萎えていた。

自分の記憶でもはっきりしている。
ご提供していただいた曲をCDにした発売イベント2018年5月以降。
今思えばそこで自分の力が尽きたのだとも言える。その後は奮い立たすかのようにせっかくいただいた曲を歌わねばとか、いろんな曲にも挑戦しなければとか、自分の中で「もっともっと」を繰り返していた。

だけど「本当の私」からしたらいい迷惑な目標。そんな自分についていけるわけがない。そもそも弾き語り練習にどれだけの時間を割いてきたことか。必死に肩に力を入れてずっと保ってきていた。さらに周りのレベルの高さに着いていけないと勝手に思いはじめた私は、少しづつ何かがズレていってたのだと今では思う。自分が置き去りになってしまっていた。

そして2020年11月のイベント以降、私の中にある音楽の世界が薄れてしまい、去年はiPhoneに入っているすべての音楽を聴きたいと思わなくなっていた。


その間は間で複業のことを考えたりnoteを始めたり読書を楽しんだり、アマゾンプライムにはまったりして楽しんでいた。

だからと言って自分の中で音楽をやめたいと思ったことは一度もないが、どんなに時間があってもギターを練習しようとかにならなかった。

ただ
やっぱり何かが足りない
同年代の人と話しても何かが違う

その気持ちは隠しきれずにいた。

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今年に入ってから。

少しづつ知り合いのライブやお芝居などに足を運んでみたくなった。そこで非日常空間にどれだけ心癒されるかを改めて知った。


そしてある日突然、鍵盤を触りたくなる。衝動的だった。

鍵盤は3年も弾いていないのでもうすべて忘れてしまってるだろうと思っていたが、意外にも指が覚えていることに驚きだった。

その自分に感動した私。心の中で何かが動き始める。


その翌日は、ギターを触ってみる。ギターもほとんど曲を弾いていなかった。コードもメロディーも何とか思い出しながら弾いてみるとあることを感じた。過去の自分はどれだけ自分に足枷をつけてきたのだとうと。
その自分に反省し、今はとにかく最低ライン弾ける曲を厳選して、しっかり弾き語りできるようにしたいとハードルをグンと下げてあげた。

鍵盤でしか弾き語れない曲も厳選し、ギターも鍵盤も弾けない難しい曲はオケで歌おうと更にハードルを下げた。



私にとって手段は何だっていいのだ。
私はやっぱり歌いたいのである。


自分の歌を歌えばいいんだよ by.TAROMAN(岡本太郎)

最近、出会った言葉だ。


大海に出るとどうしても流されてしまう。
それは仕方のないことだと自分に言い聞かせてあげる。
休みながらでも自分の立ち位置を再確認できれば、それでいい。

自分の歌を歌ってみたいと思うようになった。


おかげさまでいろんなアイテムをゲットすることができている。
新たなアイテムを掲げてまっさらな気持ちで取り組めそうだ。


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やっと肩の力が抜けたのはないだろうか。
そのために必要な時間だったと思えばすべてうまくいってる。


相変わらず自分で作りたい欲はないが。






過去に散りばめていた宝物は
今の私にとって最高の贈り物となって還ってきた。




長い人生だもの
いろんな空白があっていいんじゃない?

それもひっくるめて
すべてうまくいってるのだから