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それはきっとご縁で、ぼくの役割

うん、エモいな、、、エモい。
こういうのは書き留めておこうと思う。

今日は、あるイベントで知り合えた、人として興味深くて、他社でもちゃんと実績を出されて、立場や権限をしっかり掴んできた方々と酒席をご一緒できた。

書くと陳腐に映るかもだけど、お誘いするプロセスとしても

・当日登壇者であるその方たちに話しかける
・懇親会で酒を酌み交わす
・iPhoneの機能をフル活用してポートレイトをお撮りして、その人のオーラを形にする
・後日、どうしてもお会いしたくて同時に誘う
・今日を迎え、結構緊張(こんな無茶にお誘いして気まずかったらどうしよう、つまらない時間にしてしまったらどうしよう、会話持つかなetc心配事)

結果

すべて杞憂。

会話が楽しく、どうしても誘いたかった人も途中から来てくれた。僕は全員に会うの2回め。

なんだけど、楽しい。空気が気持ちいい。

毎回心配で、怖いんだけど、実はこういうの一度や二度ではない。

大分のど田舎からなんのコネも才能も資産もなく出てきてはや19年。

本当にありがたいご縁、つながり、温情のおかげで生き延びている。

そうして這いつくばりながら生きて、いつからか「人と人のつなぎめ」になることが増えた。

昔は、それすらもコンプレックスだった。

「自分が空っぽだから」
「自分が世間知らずだから」
「自分が無礼で厚かましいから」

そう本気で思っていた。
目の前で紡がれるご縁にも、
「お前のおかげで今日の場があるんだよ!」という言葉も、素直に受け取れなかった。

でも、少しずつだけれどそれは変わってきている。

空っぽだった自分にも人生の大怪我や痛みで身につけたタフネスと適当さが身についた。

以前は「人と人のつなぎめなんて誰でもできるし、価値がない」なんて思っていたけれど、

それほど失敗せず、人と人が繋がり、新たな仕事や価値や関係に進化するのを見るにつけ

「そうか、これは僕の役割なんだ。」

と思えるようになった。

ここ2年位の話だ。

自分にも役立てる事があるはず。

自分でも、提供できる価値があるはず。

30代後半の男の心境としては心もとなくかなり頼りないが、もとを考えたらこれでも本当に前に進めたほう。

べき、も、ねばならぬ、も、クソくらえだ。

のんびり、愚直に、楽しい時間とご縁を追求していこうと思った。

※まぁ、おじさんは飲みに誘えても女子を恋愛目的で食事に誘う、はほんともう最近わからないんだけど。なんかもうそういう気持ちが永久凍土になってしまってる感はある。いいなという人がいても、「自分みたいなのが近寄るよりもっといい男が提供する幸せがあるだろうな。。」と冷静になってしまう。もはや末期だが、まぁ仕方ない。

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ラブい HANK会

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ラブい、パルコ愛

詳しいことはぼく本人に、聞かないとわからない形にあえてしたw

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