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【アゼルバイジャン暮らしの日記】赤ちゃんは希望のひかり。

2024年1月17日

朝は6時に起きる。夫のお弁当を作って、朝食を一緒に食べ、会社に送り出してから、時間のある日はねこと少し昼寝(朝寝)したりもする。最近のねこは、夜中にしばらくはしゃいでいて、昼間は8割方眠っているので、さすがにそれは寝過ぎではないかと心配になって調べてみたら、どうやらねこの生活とはそういうものらしい。

昼、もうすぐ二人目の赤ちゃんの産まれる(予定日は来週)のお友だちに会いに行った。赤ちゃんを授かったそのごく初めの時から知っているので、なんだか感慨深い。ますますお腹が大きくなっていて、でも彼女の表情は柔らかだ、お母さんという感じがする。もともときれいなひとだけれど、なんだかさらに髪も表情もつやつやしていて、素敵だなあと思う。気のおけない友人なので、寛いで楽しい話をたくさんした。ごはんももりもり食べた。別れ際、頑張ってね、と励ましつつ、そっとお腹を撫でさせてもらった。「早く元気に出ておいで。」希望の塊みたいな素敵な膨らみ。もちろん、不安も心配もいろいろあるだろうけれど、この日の空気は、世界の明るい方だけを信じられる前向きなちからに満ちていた。次に会うときは、きっと赤ちゃんも一緒だね。

街を歩いてこんな風景を探すのが好き。

それから、歯医者さんへ。インプラントの埋設をしたところに、キャップを被せる処置をすると言われていた。診察台に座っていると、歯科助手さんが、注射器だの鉗子みたいのだのをずらりと並べているのが見えて、痛そうで嫌だなあと思う。でも、お友だちがこれからがんばる帝王切開の痛みに比べたら、歯科治療なんて気楽なものだ、と自分に言い聞かせる。でもまあ治療は痛かった。でも、痛い処置をする時に、お医者さまがごめんねごめんね、と言いながらやってくれるのに、少し癒やされた。

受付で、消毒のしかたや、投薬の説明をぼんやりと聞きながら、麻酔のかかった頬の感触を私は少し楽しんでいた。轟々と強風が吹きすさぶ中、タクシーで帰宅。車中で少し気分が悪くなった。なのでしばらくソファに寝転んでいたら、ねこがやって来て、一緒に横になる。彼女のふわふわの毛の背中を撫でていると、安心した気持ちがする。ごろごろと喉を鳴らす音も素敵だ。私は少しうとうとした。

夢を見た。

バクーの中心街には、古いアパートメントがたくさん残る。

優しい夢だった。目が醒めたとき、その心地よい感覚がまだ残っていたのだけれど、それはひかる砂を掬い上げた時みたいに、指の間からさらさらとじきに消えて無くなった。内容は朧にしか覚えていないけれど、ただまだ目を醒ましたくはなかったな、と私は思った。

彼が、帰宅が遅くなると連絡をくれた。
キッチンに行き、アスピリンを3粒とつめたい水をごくごく飲んだ。縫い合わせたところが、じんじんと熱を持つように痛むのだ。PCを開いて、書きものを始めてみた。しかし痛みは、思考を散り散りにする。

考えがまとまらないので、書きものをやめて料理をすることに。ほうれん草を茹でて、冬の新鮮なほうれん草、根元の少しピンクなのが愛らしいといつも思う。辛子和えにしようと思ったのだけれど、粉からしを切らしていた。次の帰国で買ってこよう。代わりにターヒン(トルコの白練りごま)を使って、胡麻和えにする。とろっと甘めに、白だしと醤油、味醂と砂糖などを適当に練り合わせた和え衣を作って、緑のほうれん草にさらりと纏わせる。それから、スライスした豚肉を玉ねぎをフライパンで焼いて、にんにくを効かせた甘辛いたれを絡めた。完熟の赤いトマトも切って並べる。しかし冬のトマトは真っ赤に見えても、なぜか香りが薄ぼんやりとしていて、水っぽい。塩を強めにふる。

歯が痛い私には、オートミールで卵のお粥をこしらえてあげた。

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