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いい人を辞めた。

皆、『いい人』というそれぞれの価値観があると思う。
どんな人が、自分にとって『いい人』ですか?


自分がいい人を辞めたと自覚したのは、
小学校だった。

小学校の時は勉強を真面目にし、
テストも100点がほとんどだった。
運動音痴だったので運動はダメダメだったが
運動以外の成績はとても良く、真面目だった。

真面目過ぎた故にか、勉強をせず、
宿題すらやってこないクラスメイトから、
「宿題してないから、回答見せて!」
「勉強教えて!」などと、
毎日のように言われた。

最初は、特に気にせず受けていたが、
ある日、徐々にイライラしてきた。

やはり人間は見返りを求めるものだ。
と言っても、ここで言う見返りは
『ありがとう』の一言などだ。

それすらもなくなり、当たり前のように、
宿題の回答を見せる。
お互いにとっても何の得もない、
むしろ勉強をどんどんサボるので、
頼っているクラスメイトは勉強が
できないまま育つ。

この関係に嫌気がさして、人に頼られても全部断るようになった。
これが自分の言ういい人を辞めたと言う意味だ。

人によっては、見返りを求めているから、
いい人とは言えないという意見もあるだろう。

辞めた結果、自分は友達もなくすことになる。
急に優しさがなくなった自分と
仲良くしてくれる人はいないだろう。
そんなことも小学生ながら思いつつ、
決断したのだ。
自分にとっては子供ながら大きな決断である。

小学校という小さいコミュニティのため、
もちろんそんな事をするようなやつは嫌われる、
みんなで仲良くしましょう!みたいなのが
小学校っぽいスタンスだ。

そのせいかは不明だが、小学校の時、
仲間はずれにしようとされたり、
いじめられたりした経験がある。
(原因が分からないので自分にも悪かった点はあると思う。)
なんなら、いじめる側の濡れ衣を
着させられたこともある。

そんなこんなで、小学生の時点で友達作りが
嫌いになり、『友達なんて要らない』
と親に言い放ったくらいだ。
それだけ、上辺だけの友達🤝などが、
自分にとってストレスで、嫌いだったのだろう。

そこまで自分の負担になるくらいなら、
自分が悪者でも何でもいいと思えたのだろう。

今考えると、小学生の時の人間不信は
なかなか強いものだったと思う。
学校に行っても何も楽しくないので、
あまり記憶すらない、友達もいなくなったので、
友達の記憶もない。
覚えてるのは、帰宅後の
家族と過ごす時間の記憶の方だ。

いい人を辞めた結果、メリットもある。
自分の意見をはっきり言えるようになり、
人目を気にする事なく過ごせるようになった。

小学生の頃の記憶はネガティブなものしか
残っていないし、小学校時代の同級生とは、
誰とも繋がっていない。
SNSが繁栄し、繋がりやすい現代で。

私の決断に後悔はないし、
私の人生に必要のない人物しか
小学校には居なかっただけだと思う。

今は、大切な友人がいる、風邪でも何でも
何かあった時は駆けつけてくれるし、
一目散に駆けつけたいと思える友人たちだ。
そんな人たちに出会えて良かったと思う。

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