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【小説 喫茶店シリーズ】 Ⅰ. 純喫茶「風車」 (vol.1)

その店に入るのは初めてだった。

駅前のメインストリートから、県庁に向かって横に折れた直ぐの2階にある。

建物は、ちょっと古い長屋風で、1階部分には婦人服のブティックや趣味・手芸の店、額縁・絵具の店などが入っている、という高校男子にはあまり縁のない建物だったことから、上に喫茶店があることは知っていたが、名前までは覚えていない。
そんな店だった。
階段の登り口に、《 純喫茶「風車」》と、世を忍んでいるかのように控えめな看板が掛かっていた。

高校3年の秋ともなり、受験勉強追い込みの時期に突入しスパートを掛ける季節だったが、僕はと言えば、そんなまっとうな人生に抗うように、俄然、文学作品読破に没頭していた。
夏休み中は、頼んでもないのに、母が「がんばってね」と持たせてくれるおにぎり3個持参で、日がな一日県立図書館で過ごした。
(多少気が咎めたが、そこは育ち盛り毎食ペロリと平らげ、母は喜んで毎朝おにぎり作りに精を出した)
母同様、図書館で会う同級生達も、僕が持ち込むその地元本屋のカバーをかけられた分厚い本が、実は、参考書などではなく、小説なのだとは知らず、真面目に勉強しているものだと思っていた。(はずで、普段、ふざけてちょっかい出してくる連中も、「なんだよ、本気出してる」といって、あまり寄って来なくなった)

しかし、二学期も始まると、周りの友たちもそれぞれ追い立てられ、否が応でも真剣になりだし、流石に、僕も居心地が悪くなり、どこか一人っきりで本を読める場所をと、学校では禁止されている喫茶店に入るようになった。

何、禁止とは言っても、この時期、逆にプラプラ遊んでいる受験生の方が珍しく、誰も、今更休学処分を喰らうような危険は犯さないし、そもそも、見回りの指導担当の先生達も、それぞれの受持生徒の追い込み確認で、繁華街の見回りに出歩く余裕などない。

僕は、進学クラスの、それも理数コースに在籍していたので、誰も「文学部」を受験するとは思っていないし、両親でさえ、どこか(金の掛からない)国立の理工学部に行くものだと思い込んでいた。もちろん、本人も理系科目が好きで得意だし、漫然と、研究職に就きたいとは思っていた。
この春までは。

三学年になり、明確に進学先を決めなければならなくなって初めて、「これでいいんだろうか?」と内なる声に呼び覚まされたのだ。
それから、自身決断するまで、時間は要しなかった。
どうしてかはわからない。二三日で決断した。
誰にも言わず、兄のように慕っていた担任の斉藤先生にも相談することなく、自心の中の風吹く丘の上に、「僕のモノリス」を打ち立てた。

(つづく)


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