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『聖トマスの夏』 (2/3)

「お前、知ってるか?斉藤先生と石田先生、付き合ってるんだぜ」

斉藤先生というのは、うちのクラスの担任の、もう若いとは言えないけれど独身の女性教師で、ボクが一番好きな先生だ。
そして、石田先生は、3年生の担任で、熱血スポーツマンな張り切り先生のことだ。
でも、石田先生には奥さんがいて、そればかりか、二人目の子供ができた。と町中の母親たちの噂でもちきりだ。
そんな二人が付き合ってるって、どういうことだ?

ボクは、まだまだ幼かった。無謀な探検は計画しても、男女のことはまったく解らないし、そもそも興味がない。
幼稚園からの女ともだちからは、「カズ君ったら、ほんと子供ね」と言われ続けている。
こちらとしては、それがどうした?というところだが。

しかし、タケシの話には、どこかムカムカする嫌なものを感じた。
「オレ、見たんだ。二人して抱き合ってるのを」そして、「キスもしてた」と言ったところで、ボクが思わず叫んだ。
「止めろ!」「そんな話、聞きたくない」

「おや?」と先を歩いていたタケシが立ち止まり、振り返って言った。
「お前、斉藤先生好きなんだろ」「へへん。わかってるぜ」
「でもな、お前なんかお子ちゃまの知らないところで世の中は動いているんだよ」と、これまでの口調とはまったく違う底意地悪くねじ曲がった、妙に大人びた言い方だった。
ボクは、このタケシの豹変ぶりに驚かされ、薄暗い山道に浮かんだタケシの墨絵のような顔面の中、そこだけ白く浮かび上がる歯列に恐怖を感じて身震いした。
暑さによる汗と、内心の冷や汗が一緒くたになって、ボクは具合が悪くなり、グラグラとめまいがして左手の斜面に片手を突いた。

「しょうがないな、子供は」と、振り返りタケシは、また坂を登りだした。
その背後を見上げて、いったいどうしたんだ?なんで急にこんなことになったんだ、と不思議な気がした。
その後は、2、30分ほど文字通り黙々と歩いた。
「多分、ここだ」と、いきなりタケシが左の茂みに首を突っ込むと、ガサガサと入っていった。
その手品か何かみたいに、タケシが一瞬で身を隠した後の茂みを前にして、一人取り残されたボクは、
「エッ!」と驚き慌てて、躊躇する間もなくその茂みに頭から飛び込んだ。

失敗した。そこはいきなり窪地だった。
多分、これが堀割の遺構なのだろう、堆積物に覆われていたとはいえ、1m程落ち込んでいる。
ボクは、その幅2m程の窪地の向こう斜面にしこたま前頭部を打った。

「イタタ」と頭を抱え腕を伸ばすと、「バカだなぁ。前を見て歩けよ。まるで飛び込みじゃないか」
タケシが引っ張り上げようと手を伸ばした途端、
「ワーッ!」と叫んで、途中で手を離してしまった。
ボクは窪地の底に今度は仰向けに落ち、見上げると、タケシが恐ろしい顔つきで覗き込んでいる。
口は開いているが、何にも聞こえない。
いつか観たトーキー映画みたいに、無音で口だけパクパクしている。
聴覚が失われたのかと、耳に手を当てると、どす黒い血がドクンドクンと流れ出し、その自分の手に付いた血と泥が一緒になったものを見て、それが割れた頭から出て来た脳みそかと錯覚して、フラフラと気が遠くなった。

そのまま意識を失ったらしい。
・・・


(つづく)

 

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