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【小説 喫茶店シリーズ】 Ⅱ. ドトール「新町店」 (vol.2)

「ところで、誰か待ってたんでしょ?」と、
一恵さんはミラノサンドを食べ終えると言ったが、それは、あっけに取られる程の食べっぷりだった。
ボクはまだ半分も食べてなかった。

「イヤ、いいんです。相談があるからと誘った当の本人が来ないんですから、気にすることありません。もしこれから来たとしても、無視してやりましょう」

そう答えると、一恵さんは、人差し指に付いたマヨネーズを舐めながら「クスッ」と笑って、
「彼女?」と言った。
まるで、いたずらっ子のようだ。

「そんなんじゃありません。高校時代の後輩です。まぁ、女の子ですけど」
その子は、他校の一年後輩で、ボクは男子校、向こうは女子校で、お互い弓道部だった。週に一度、市の弓道場で両校合同鍛錬をしていたのだった。
一応、運動部なので、男子女子というよりも、お互い先輩後輩としての付き合いであった。というか、現在も。
というようなことを手短に説明した。

「とは言ってもねぇ」
と一恵さん。
そして、「ま、いいわ。人の恋路を邪魔する年でもないし」
それからコーヒーに目を落とすと、しばらくじっと見つめていた。

そうして、そこに映った自分に話しかけるように、顔を上げないままで語り始めた。

※※※
「わたしね、これでも結婚してたのよ。一日だけだけど」
「えっ?」

「驚くでしょ。二人だけの結婚式挙げて、その翌日の夕方、あの人は『ありがとう』と一言だけ残して行ってしまったの」

ここからは、つとめて事務的に事実関係をなぞることに徹したような話しぶりだった。
「カメラを持って車を出した。わたしもついて行こうと思ったけど、前日から一睡もしていなかったから、とっても疲れてて、『気をつけてね、眠ってないんだから』と送り出した」

「そして、眠りに落ちて、真夜中に電話が鳴った。警察からだったけど、はっきり目が覚めてなくて、何言ってるのかわからなかった。・・・夢だと思った」
「彼は、海岸に停めた車の中で見つかったけど、既に意識が無くて、病院に運ばれたと」

「釣りに来た人が、エンジンを掛けたままの車中で横になってる人を不審に思ったとかで、『車に排気ガスを引き込んでの自殺未遂だと思われます』って、まるで刑事ドラマそのままのセリフだった。とても信じられないまま病院に駆けつけたら、既にもう亡くなっていた。眠っているだけなんじゃないかと思えるくらい、おちついた顔していた。わたしは呆然と涙も出なかった」
「だって、つい前の日は『この美女をどうしてくれるんだ』って、笑って抱き合っていたのよ」

「その夜に、初めて彼のお父さんに会った。お母さんは若い頃に亡くなっていて、父子二人だけなの。そのお父さんからも『ありがとう』って言われた。私とのことは知らされていたそうで、それ以上言うことがないって、何度も頭を下げられた」

「そして、残されたカメラには、綺麗な夕陽が写ってた。きっと彼がこの世の最期に見た景色なんだと、その夕陽の写真を彼の遺影代わりにしているの」

「だって、彼の顔を見ては暮らせないもの」
そこで、コーヒーカップにポツリポツリと涙を落とした。

ボクは、お昼時の賑やかな店内で、一恵さんの衝撃的な話に、感覚のモダリティが混沌として震えが止まらなかった。
そして頭の中では、ローランド・カークが、『THE INFLATED TEAR <溢れ出る涙>』を激しくも叙情的にブローしていた。


(つづく)

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