メイのギター

ぼくと同じ世代のミュージシャンが、
「はじめて買ったレコードは?」
との問いに
「泳げ!たいやき君」
と回答しているのを見たことがない。
すごく不思議。

その数年後、ぼくの家にはQueenのアルバムが並んでいた。
ぼくはまだ小学生で、レコードに針を落とす作業に緊張したものである。
そして、飛びだしてきたのは、Keep your self alive 

映画「ボヘミアンラプソディー」でQueenがQueenとして初めて演奏する曲である。

いまなら、そのサウンドを録音技術的にみて凄い、のような説明をするかもしれないが、当時のぼくは、ただ、スゴい、と思った。
それがギターの音色であると認識していたかも疑わしい。
ただ、スゴい、と思った。

高中正義氏が自伝に、ビートルズの映画を観て、なんだかわからないけど、とにかく凄いと思って、家まで走って帰った、と書いているのを見たとき、ぼくは高校生になっていた。
ぼくがはじめてKeep your self aliveを聞いたときと、似たような感覚なんだろうな、と読みながら考えたことを覚えている。

不思議とQueenを自分で演奏したいとは思わなかった。
TAKANAKAが全盛期だったせいもある。
が、いちばんの理由はメイのギターが唯一無二であることを知っていたからだと思う。
ひどく乱暴にいえば、TAKANAKAのサウンドは自分のギターで出せたが、メイのサウンドは出せなかった。
なぜかは解らなくて、なにか本質的に違うのではないか?と思っていた。

どうやったら短い音を正確に出せるのかに腐心して、教則本や音楽雑誌をみているうちに、メイのギターが手作りであることを知った。
父親といっしょに家にあった暖炉の木材を切り出し、母親の真珠を半分に割ってポジションマークに使った、と記事には書いてあった。

へぇ、エレキギターって作れるものなんだ。

その記事を読んだとき、ぼくはまだ、どのような製品であっても誰かの手によって作られている、とは考えていなかった。

もともと、機械や工作が好きなほうである。
メイのギターが手作りであることを知って以来、ぼくはギターを楽器としてではなく、製品として見るようになり、自分でも作れるのではないかと考えはじめた。

けれども、ギターを部品単位に集めて組み立てるのは一般的な時代ではなかった。
楽器店をいくつまわっても、部品を販売しているところはあまりなかった。
加工する道具も持ち合わせていなかったので、ぼくの、ギターいじり、は改造が主な作業だった。
たとえば、こっちのメーカー製ボディにあっちのメーカーのネックを取り付ける、といった具合である。
それでも、楽器メーカーは部品単位では販売していないので、パーツを集めるには時間をかけて歩き回り、パーツメーカーが投げ売りしているものや、楽器店が独自に輸入した部品で組み立てていた。

いまだ、木材を切り出すところからはじめたことはないけれど、なん本かは気に入ったものが出来上がり、そのうちの一本は、30年を経た今でもまだ、目の前にある。

予備校生のときに構想して、大学の三年生になって組み上げたもの。
少し重い。

いや、ずっしりと重い。

演奏はとうにやめた。
けっきょく、楽器の上手・下手は練習量に依る。
その時間を確保することは自分にはできない、と断じたの10年くらい前だ。
使い続ける誰かに託したい、とは思っているけど、適当な人物がまだ見つかっていない。

メイのギターは、いくつかレプリカが作られているかと思う。
映画では確認できなかったけど、メイは10ペンス硬貨を使って弦をはじく。
つまり、コインでギターをこすっていることになるので、暖炉から作った最初の一本はかなりのダメージを負っているはずである。
電気回路や金属部品は補修が可能だけれど、木材はそうはいかない。

ぼくの予想では、いずれ大英博物館に収蔵される。

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