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『デスノート THE MUSICAL』

村井月で3回観た感想をまとめながら。
まとまるかな?

🍎デスミュ

『デスノート』は映画(2006)→ミュ(2017再演版柿ラ)→コミックの順に履修しており、それぞれに好き。

映画は月とLの頭脳戦がとてもスリリングなところが好きだったし、コミックでは夜神月がとにかく完璧なイケメン!という印象が残っている。

デスミュの肝は「死神目線」が際立っているところだと思う。
死神についてはエリザでも随分と考えてきてるのでね。得意科目だよw

🍎村井月(ムライト)

何を隠そう村井良大さんは私を舞台沼へと導いた方なのだ。ファンの端くれとして、今回のキャスティングが発表された時にはかなり興奮したし、初日はちょっと予想以上に気持ちが沸き立ち、この日に立ち会うことができて良かった!なんて思った。

村井さんならではの月だった。
頭が良いし勉強もできるけど、どちらかと言うとダサめで女の子にモテるようなタイプではない。
いわゆるイケメン秀才ではなく陰キャな優等生
村井さんの小柄な体格とちょっと猫背な立ち姿とか、前半の芝居…クラスの中での居ずまい、ノートを拾って面白半分に試してみちゃう軽率さ、ミサミサと接点ができそうでウヒョーってなっちゃうとこ、リュークと2人の時の気取らない雰囲気などからそんな感じが伺えた。

頭の良い子だから、自分の頭で考えることのできる子だから、学校で教えられることとか世間で言われてることとか社会のしくみとかみんながそういうのを鵜呑みにしたり無関心だったりすることに疑問・違和感を抱いていて、自分自身をこの世界に馴染ませることができていない。かと言ってすごくアウトローな態度をとる意味も感じず…学校の勉強なんてやろうと思えばこなせてしまうし受験にも難なく成功できちゃうしね。

そんな時にデスノートを手にして…
M4「デスノート」最初はノートの威力に慄くが、「不思議だ 世界が輝いて見える… 」透き通るような高音が綺麗なこのフレーズの瞬間に、月は新世界を見つけた。自分の居場所。自分が拓くべき光の世界。
自分の存在意義・生きる意味を見出したんじゃないかな。世界が自分を受け容れてくれたと初めて感じたんじゃないかな

「このノートは世界を救う力を持つのか! 」でギラリと顔つきが変わる。
階段を駆け上り、自分のすべてを賭けるものが見つかったんだ!と湧き上がり、己の精神への負担も自覚しながら、いや「犠牲は覚悟だ…」と、高揚のうちに、新世界の神になることを決意する。
(因みにこのフレーズを後でHarry Bell 捜査官殺害時に歌うとこはまた堪らんかった)

そして自らの正義へと突き進む中、Lind L. Tailor に「悪」と言われたところで次のスイッチが入ったのを感じた。Lとの勝負の始まり。

🍎月とL

ふたりとも"少年" だった。
そう、ほんと…可愛らしい少年だったんだよ

は冒頭からずっと、僕の正義・僕の為すべきこと・僕の存在意義を求め、見つけ、そのために力を使うことに邁進する、少年 月だった。
群衆に担ぎ上げられてしまう哀しさもあった。
リュークはM5で「キラだってよ!」と嗤っていたよね。

は確かに異様さが目立つけど、観劇を重ねるうちに普通の少年ぽさみたいなものも強く感じられてきた。
高橋さんと村井さんの信頼関係がどんどん深まっていったことで、Lと月との関係性の中にもより熱いものが見えてきたのかもしれないね。
その点では、観れなかったけど甲斐さんとのコンビはもっと俳優同士の同世代感もあって一味違ったのかもしれない。
あと、床にイジイジとしょげたように座って「あなたを貶めるつもりはなかったんです」って総一郎に言うところにもLの少年みが出てた。パパに叱られてるみたいだった。

Lにけしかけられて月のスイッチが入ったところから、少年ふたりのゲームだった。
テニスの合間に、ふたりとも自分が夢中になっていることにふと気づく瞬間があり、試合後に漂う爽快感。
そうだよな…少年ジャンプだもんな

こんなふたりだからこそ、ラストが哀しい。

🍎死神

正義に突き進む月。愛に突き進むミサミサ。
彼らの必死な姿も、死神目線で見ればM3で歌っているように「所詮人間なんて…」
この曲がワルツなのも如何にも死神らしい。

レムはそれを哀しみ愛しんでくれたけれど。だから砂になってしまったけれど。
ヘナさんの歌唱表現はちょっと尋常じゃなく素晴らしくて、毎回心つかまれ鳥肌が立った。
「愚かな愛」最強!
2コーラス目からすっっっごいカッコよくなるの!
あの静かなレムが一気に迸らせる激情。圧巻。
大切なものを見つけることって、死神的に言えば破滅への道なんだよな
でもそれを選び取ったレム。

リュークは、ノートを地上に落としてからLが死ぬまで目一杯楽しんでたくせに、ものすごくいきなり飽きちゃう。怖い。
リュークの興味を繋ぎとめるには一体どうしたらいいんだろう…って考えちゃったよ。

あゝでもラストの台詞…「なんも残らねぇ。なんの意味もねぇ。こういうのホントつまんねぇ」
もしかしてリュークも、この言葉の裏で、人生のくだらなさを憐む気持ちになってるのか?

死神って一体なんなんだ。
死神もさ、決まり事の中でただ任務を果たさなければならない…逃げ場のない退屈の中にいて…人間と同じじゃないか。

何故リュークはあそこで月を殺す気になったのだろう。
Lが死に、月が笑いながら「捜査本部に呼ばれるだろう。そしたら…」って言ってる辺りで、リュークの表情がスーッと冷めたんだよね。

結局こいつの人生も退屈だ、と見限ったのか。
月がこの後只々ノートに人の名前を書いていくだけの退屈な死神になってしまう未来が想像できてしまって、うんざりしちゃったんだろうか。
あるいは、月の暴走を見て、ここらで止めといてやった方がいいと思ったのかな。
月がそんな死神に成り下がることにストップをかけてあげたのかもしれない。
こいつ放っといたら退屈な死神になっちまう…と、自らの退屈さを呪うと共に月を哀れむ気持ちもあったのか?
自分が退屈しのぎにやってしまったことをちょっと反省してたり?
人間やべえな…って思ってたり?

そっか、リューク…コミックでも続編があるように、ノートを人間界に落とす遊びは度々繰り返してるんだよな。退屈しのぎに。
だとすると、ノートを手にして狂っていく人間の姿はもう何度も見ていてその度にいたたまれない気持ちになるのに、それでもこの遊びをやめられない、そんな自己嫌悪なんかもあったりして?

そう言えば「死神たちは怠惰で野心も夢もねぇ。存在の意味も知らねぇ。とにかくつまんねぇ。だから見ものだぜ、人間たちが…」って歌ってる。
リュークさ、死神たちの中ではたぶん意識高い方なんだよな。ジェラスやレムのように一線を越えてしまうのは愚かだと思ってるけど、俺たち死神って何なんだ?というような疑問・モヤモヤをたぶん抱えているんだよ
人間にちょっと惹かれている…トートみたいにね。だからこそ、人間って面白いことするよね〜憐れだよね〜って言うんだ。

粧裕にキラを批判され動揺する月をマントの中に抱き、耳元で何か囁いたシーンも印象的だった。
でもお兄ちゃんは私のヒーロー♡って揺るぎない気持ちを向けられた時の月は、すごく温かなものに触れたという表情をしていたんだ。
この時リュークのマントの中に抱かれて囁かれなかったら、まだ引き返すことができたかもしれないなぁと思う。
月と粧裕の様子を見たリューク、人間界のちょっと素敵なものを見たという気がしただろうね。
へぇ…人間…って思ってたね。

でもね、月やLやミサミサやレムのことを心の奥底に仕舞い込んで、リュークはこれからも死神として永遠の退屈を過ごしていくのだろうね。
『エリザベート』で感じたトートの物語と同じ結末だ。


🍎群衆

デスミュでは、月が「群衆」によって求められ 「キラ」になっていく様子が効果的に表現されていると思う。特に2階席から舞台全体を一望した時にそれを強く感じた。
「キラ!キラ!」と歌う群衆の迫力には、月を暴走に駆り立てるものとして大きな説得力がある
粧裕に批判されても月は突き進む。世の中を正すという僕にしかできない使命があるから!人々のために!…もうね、1幕ラストに掛けて、あゝ純粋な少年が群衆に担ぎ上げられてる!って感じがすごいしたよね。哀しかった。

この群衆や、高校生、ミサミサのバックコーラス&ダンサー、テニスシーンを盛り上げる大学生、そして刑事たちを演じる、川口竜也さんを筆頭としたアンサンブルの皆さんの歌唱・演技の素晴らしさについては声を大にして言っておきたい。
デスミュの分厚さは彼らに支えられている

特に刑事たち(勿論キーヨさんも含む)の歌には毎回心震わされた。(ジャベールが3人ってマジか)
初日、ほんの一節のソロパートでパーンと出た高音の綺麗さにヘッ!?てなって、正直あなたが月の歌を歌ったら!って思った方がいらして、その方はじめ皆さんのお名前をしっかり確認したいためにパンフを購入。藤田宏樹さんのお名前はしっかりと覚えました。
哲平さんのLind L. Tailer はスクリーンから顔がはみ出しそうだったじゃんw
ミサミサが「命の価値」を歌う後方での竜也さんの細やかな芝居も心に残った。複雑な表情でミサミサを見つめたり、Lへの憤りを見せたり。

🍎レクイエム

ラストシーンが「レクイエム」なのがデスミュの沁みるところ。

死にたくない!僕にはやるべきことが!と喚き、のたうち回りながら、月は本当に人間らしく憐れに死んだ。
人間の業を背負わされて死んでいったみたいだと思った
純粋な少年だったのに。

あゝ…月とLにレクイエムを…😭





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