見出し画像

ブランドとは何か?あるいは想像力の範囲はどこか?

別にここでブランドとは牛のタグだとか、識別子だとか、意味だとかという話をしたいわけではない。

昨日、とある人がTwitterで連投していて、そこにはカテゴリは違うがメーカーに勤める人間として黙っていられないものも含まれていた。しかし、そこはスルーするとして、次のようなこともつぶやいていた。

理想は、お客様が好きなブランド・デザイン・サイズ・カラー・素材などを選んで注文すると、直ちに工場で生産されて翌日には配送される。(意訳)

これも本気で言っているのか?と思った。どこに引っかかるかと言えば、もちろんタイトルにもしているけれど、

ブランド

だ。ブランドも選択できる。確かにできたら画期的なことだと思うが、本当に誰が望んでいるのだろうか?

彼はスーパーカーのコレクターとして有名だそうだけれど、これを車に当てはめたらどうだろうか?昔からマーケティングの世界で言われている、

客が欲しいのは100万円で買えるフェラーリだ

というのがある。消費者にどんな車が欲しいか?をどんどん制約なく聞いていくと辿り着くのはそこだという例え話である。軽自動車並みの価格で、高級車であるフェラーリを買えればみんな喜んで購入するだろう。実際本当にそんなことになれば瞬間的には数百万台と売れるだろう。

しかし、そんなことをすれば会社は倒産する。そもそもなんで高いかと言えば原材料からすべてこだわりを持って作られており、大衆車のように量産化する前提の工場など持っていないため、そんな価格で売ろうものなら大赤字になるし、大衆車並みにありふれた車になった瞬間に欲しい人もいなくなってしまう。

こだわりをもった手作業で作られる高級品で、数量限定の希少性があり、しかも癖が強い車であることがフェラーリがフェラーリたる所以であって、そこが1つでも失われればフェラーリはフェラーリでなくなってしまう。

それがブランドだ。

彼は車がそんな感じになることはうれしいと思うのだろうか?それでもスーパーカーをコレクションするのだろうか?でも、彼が自分のカテゴリで言っていることはそういうことだ。

そのカテゴリで働いている人達だって、思いを込めて自分のブランドを作っているはずである。デザインや素材、発色や生産方法にいたるまで様々な差別性や独自性を持たせているはずだし、そんなこだわりがあるからこそ、そのブランドが欲しいという人がいるのだと思う。

自社のブランドでそれをやるのは自由だ。どんどんやればいいし、それが自社のブランドの確立につながるだろう。

しかし、それを他社のブランドを巻き込んではダメだ。そして、プラットフォームを提供している側が言ってはダメだ。そのプラットフォームを利用している側に失礼だ。お前らに独自性やらオリジナリティは必要ないと言っていると同義だ。

彼がどういうものを想像して一連のツイートをしたのかは知らないが、メーカー側でマーケティングを担当している人間にはそう聞こえた。

こういうことを思うことこそが老害の真骨頂なのだろうけれど。



サポートを頂けると大変ありがたいですが、頂けなくても問題ありません。基本的にしょーもないことしか書けませんが、温かい目でみて頂ければ嬉しいです。