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自分軸と他人軸?

7か月振りにコーチングを受けた。
何故ならその期間に妖怪ワタシナンテがちょくちょく顔を出すようになったから。
この妖怪は人間関係で空回り(と自分では感じる)が増えてくると比例して出てくる傾向がある。
妖怪の滅し方を教えて欲しくてコーチにアポを取っているような気がする。

コーチングの冒頭、コーチは「今のお気持ちを聞かせてください」と言った。
そんなことを聞かれると思っていなかったので、少し面食らいつつ気持ちを探りながら言葉にした。

「コーチングを受けるともっと自分を好きでいられるようになれると思ったので、また先生と話したいと思いました。」

自分で言ってちょっとこそばゆい感じ。
でもそう、私はずっと私を好きになりたいと思っているんだと思う。

コーチングを受け始めた頃は、自分の中のどす黒い部分と向き合うのがしんどい事も多くて1セッションが終わる頃にはゲッソリ疲れていた。
なんせめっちゃ泣くしね。
感情血圧心拍数乱高下。自律神経もびっくりよ、きっと。

でも今回は今までとなんだか違った。
自分の中の矛盾に気付くのが面白いと感じた。

人って変わるんだな。
人から見てどうこうとかじゃないんだわ。

なぜ私はこうも自分に自信がなくて
なにかあると反射的に取り繕おうとして
なのにプライドばっかり高くて
失敗が怖いから腰が重くて…以外略
なのに
人には酷く憧れたり羨ましく思ったりするのかと思ったんだけど
「人様から見てみっともない人間になるな」という教育だったのでは、と思い至った。

だから判断軸は常に他人、立派さの基準は時代に合わせて()変化し、それに柔軟に対応して常に向上心を忘れない、誰から見ても恥ずかしくない人間でいなければ、と思っちゃうんだ。

そのせいで目指すところはスーパーヒーローたる自分、になりやすいわけね。
なるほどなるほど。だんだん分かってきましたよ。

と、ここまではTwitterにも書いたところ。
述べてみて修正したいところが出てきた。

正確には、父曰く
「俺の(立派な)店の娘だからどこに出しても恥ずかしくない」人間であれ。

そう、つまりこれは父の「俺の話」。
私の心が言い出したことじゃない。

とすると、スーパーマンになりたかったのは父なのかもしれない。
それが無茶苦茶でも、苦しくても、生きていくために肯定しようと必死だった母。
それらを受け入れたいと思っている私。

だから今までの私の北極星はあっちこっち動くし、あれもこれも北極星に見えるんだわ。
(ここでいう北極星とは、自分のありたい姿、目指すところ、の意)

「自分が楽しそうに幸せそうに生きていることが一番良い子育て」
との意味を、やっとちゃんと理解してきた。
それは、親の姿は子供に大きな影響を及ぼすから。
無意識に「親のようである事が良いこと=正解」と思っちゃうんだろうな。私の場合。
その上「父=絶対」がルールだったから、これもまた無意識にそれを踏襲しようと必死になっているのだろう。

自他境界という言葉を知ってから、自分の中のそれと向き合うことの難しさと意外さと苦しさと面白さと。

何年も前に受けたオンラインメッセージカウンセリングを見返してみたら
「自分軸と他人軸、自分勝手との境目はなんですか?」
と言ったようなことが書かれていた。
(いや私が書いたんだけどね)

今ならあの頃の私とその議題についてじっくり膝突合せて話せるよ。

まぁ、慌てるな。
解決を急ぐな。

大丈夫、私は前を向けるから。

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