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私の昭和歌謡86  スイートメモリーズ 1983

ペンギンが歌う姿の可愛さに懐かしい日々若き日の恋


昭和58年に、私はやっと27歳の新採用教員となった。

子供が好きとか、教育に興味があったとか、強い想いがなかったので、大学を卒業してから、叔母が紹介してくれた高校の非常勤をやりながら、毎年試験に落ちていた。

結婚相手はいた。その将来の夫が「音大なんか出て、一番いい仕事は公立学校の教師しかない。お前、それに決めろ。」と言う。だから、そうした。

当時まだ婚約の二人は、ほとんど毎日会っていた。よくそんなエネルギーがあったと思うくらい、愛は疲れを知らないw

仕事が終える頃、未来の主人は、近くの喫茶店で待っている。19歳から付き合っているから、現在67歳の夫婦以上に、会話はないww

クリスマス頃だったか、主人が「サントリーのCMかわいいぞ。ペンギンが聖子ちゃんの声そっくりで歌うんだぞ。」と話していた。

結婚してから、またこの曲のことが話題になった。

聖子ちゃんのデビューの発声と、ペンギンの曲の頃からとは全く違う。地声で歌うようになって、また特色が加わった。努力してるなぁ。
と、主人は言った。

それから、私は聞くようになった。リアルタイムではなく、だいぶ経ってからだから、CDで聴いた。

作詞は、もちろん松本隆。
作曲は大村雅朗だ。
彼は八神純子の作曲のクレジットで揉めた「パープルタウン」なんかも手掛けている。21世紀を待たずに肺不全で亡くなっている。残念だ。

松田聖子ファンになった。といっても、コンサートに行ったりはしない。
50代にして、昔の聖子ファンになった。

昭和の主婦はCDラジカセで聴く。

ペンギンの曲になると、胸がキュンとする。

幸い夫婦円満で暮らしている。
音楽とは不思議なもの。聴くだけで、あの時代の喫茶店の壁紙とか、メニューとか、看板だとかが、はっきりと眼に浮かぶ。そして、主人の若かった喋り方も。


昭和58年。
連ドラの「おしん」が大ヒットした。
東京ディズニーランド開演。もちろん主人と行った。

ペンギンの歌、「スイートメモリーズ」
1963年のクリスマスの思い出の曲だ。





【参考資料】




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