きゆのひとりごと

はじめまして、きゆと申します。 自分のことをよく知らない。そんな私ですが 興味関心を持…

きゆのひとりごと

はじめまして、きゆと申します。 自分のことをよく知らない。そんな私ですが 興味関心を持ったもの、日々感じたことを ただつらつらと語ったり、語らなかったりすることでしょう。 でも今日も明日も 「まぁ、ゆっくり生きましょう」

最近の記事

他人に言えて、自分に言えない

よく他人には言える 「体に気をつけて」 「ご自愛くださいね」 「無理しないで」 気遣う言葉の数々を 私達はどうして自分事となると 言えなかったり、受け入れずに痛い目みるまで背くのだろうね。 この差はなに? どうして自分には言えないの? なんて考えたことはあると思うけど、 逆に『どうして他人には言えるの?』って考えてみたことある?どんな言葉があなたの中から出てきた? ・他人(ひと)に優しくした方が良いから? ・目の前のツラそうな他人の助けになってあげたいから? ・

    • この、言葉にならない感覚と。

      写真を撮っていると、 絵を描いていると、 鼻歌を歌っている時と、 ただ、日々生きている時であっても 言葉に悩むあまり、 言葉にならない時が私にはたくさんある。 私の場合、言葉は『正解』に近い。 "誰かの言葉はその人の正解、私の言葉は誰かにとっての正解" これは私の家庭環境の結果だ。 家族にとって欲しい『正解』に近い言葉を返そうとしたおかげで 私は私が欲する『正解に近い言葉』が分からなくなった。 だからだろう、 私は言葉よりも素直で偽りの少ない 写真や絵や歌、自

      • 【脱・完璧主義】心でそっと唱えたいセリフ

        脱までいかなくても、完璧主義になり過ぎないようにとは日々思うわけです。 あっ、そんなことより2023年 読んでくださった方々 本当にありがとうございます。 2024年もマイペースにやらせていただきます🤭 さてさて、本題に戻ります。 完璧主義の緩和がしたい私ですが、集中モードになると自然と完璧主義モードがもれなくセットで来ちゃうので困っていましたが、 とある国民的アニメ(?)のワンフレーズが新年早々に降ってきました😊 (私はこのアニメの世代ではないのですが、言葉だけはよ

        • 「どうしてこんな私に優しくしてくれるの?」 自分の心の中から涙とともに溢れ出てきたこの言葉 どれほど自分のことを好きじゃないか どれほど自己卑下してきたか どれほど他人を受け入れていないか 出てきた感情にそのまま『今までごめんなさい』を言い続けてあげよう。まずはここから。

        他人に言えて、自分に言えない

        • この、言葉にならない感覚と。

        • 【脱・完璧主義】心でそっと唱えたいセリフ

        • 「どうしてこんな私に優しくしてくれるの?」 自分の心の中から涙とともに溢れ出てきたこの言葉 どれほど自分のことを好きじゃないか どれほど自己卑下してきたか どれほど他人を受け入れていないか 出てきた感情にそのまま『今までごめんなさい』を言い続けてあげよう。まずはここから。

          シェアすること=『Happiness』だなんて考えたこと無かった。

          シェア(共有)することは『思いをお裾分けし合うこと』 きっと昔から聡い私は 『思いとは愛で、愛を渡したい人にお裾分けすることがシェアである』と感じていた部分があるが、 私の中では思いと感情はかなり掛け離れた場所にあった。 正直、この言葉を出すことを泣いて抵抗する私も存在している。 シェアすることで、伝えることで、知ってもらうことで、 『どうせ伝わらない。きっと叶わない、また泣いて後悔する』 つらい思いをして、悔しい思いをして、挫けて、諦め癖ばかりが培われて、 八方塞がり

          シェアすること=『Happiness』だなんて考えたこと無かった。

          キャッチする影響を自ら選んでみよう。

          感情や言葉の転換を日課にしてみると、いろんなことに気づけるようになれてきた。 よく繊細な人やHSP、HSEだと自覚をしている人は、 「人からの影響や、五感からの影響で疲れやすい」 ということを強く重く受け止めている。 この背景にある『受け取った影響』について語る人は多くないが、 心身にとって良くない影響だから疲れる。負担になる。 精神を摩耗するようなものが大半なのかなと思う。 私も疲弊や摩耗すると感じる時はだいたい周りと関わろうと思って『気を遣う』 (この周りは自然も

          キャッチする影響を自ら選んでみよう。

          【経過観察中】イヤイヤ転換3ステップ。

          あれもイヤ。これもイヤ。なんかイヤ。なんか違う。 正解なんて無いこの世の中で、勝手に自分の中での正解を仮定すればいいのに『イヤ』で包んで捨てて来てしまった私の人生の大半。 まるでまだイヤイヤ期の子どものよう。 そしてアダルトチルドレンのまま育ってしまったんだろうな。 5人家族の末っ子で、なかなか自分の意見や意思は尊重されない中で生きてきて、それでもって自分のことさえ嫌と刷り込んで八方塞がりにしてきた気がする……。私の味方は誰かいたのだろうか? 自分の人生振り返ると 『

          【経過観察中】イヤイヤ転換3ステップ。

          あれも出来なかった。これも出来なかった。 自分はダメ人間… 過去振り返るたびに落ち込んでイライラする。 自信が持てないからどんどん顔も上がらない。目が合うのも気まずい。 なにも見なくていいです。胸を張って。 嫌でも顔は上がってくれます。今はそれだけできれば素晴らしいこと🌱

          あれも出来なかった。これも出来なかった。 自分はダメ人間… 過去振り返るたびに落ち込んでイライラする。 自信が持てないからどんどん顔も上がらない。目が合うのも気まずい。 なにも見なくていいです。胸を張って。 嫌でも顔は上がってくれます。今はそれだけできれば素晴らしいこと🌱

          【不思議体験】コンプレックスほど褒められる。

          私はもともと自己開示のような言語表現やコミュニケーションなどの『自分の言葉で伝える』ということに苦手意識と抵抗感が強くあった。 いまでも得意とは到底言えないし、伝えたいことが伝わっているか不安になることもある。 けれど最近少しずつ不安や苦手意識というネガティブな抵抗感が薄れてきている。 何があったかというと、 6月頃から「聴き取りやすい」「理解しやすい」「使う言葉が綺麗」など、 コンプレックスである『言葉での自己表現』を肯定してもらえる機会が増えたのです。 たったこれ

          【不思議体験】コンプレックスほど褒められる。

          自己卑下する言葉、言い換えひとつで可能性に変わる。

          落ち込んでる時についつい口から出てしまう自己卑下の言葉 【私なんて…】 【私なんか…】 自分で自分を卑下して、さらに落ち込ませて、マイナスの方へと押し込んで 【だから私はダメなんだ】と自分で自分を傷だらけにし続けてしまう。 よくスピリチュアルや自己啓発の世界では言葉には『言霊|ことだま』が宿っている。と言われていて、 プラスの言葉を言えばプラスの方へと導かれ、 マイナスの言葉を言えばマイナスの方へと導かれる。 そう言われ、普段から口にする言葉(言霊)は大切だと広く

          自己卑下する言葉、言い換えひとつで可能性に変わる。

          言いたいことはあるのに、伝えたい気持ちもあるのに【言葉に出来ないから書けない】 今の私はそんなモードらしい。 そんな時に読みたい本がある。それも2冊も。 もともとまったく読書家ではない私が今夏辺りから本がそばにいつもある生活を送っている。 本を読むと自然と言葉が出てくるの🌱

          言いたいことはあるのに、伝えたい気持ちもあるのに【言葉に出来ないから書けない】 今の私はそんなモードらしい。 そんな時に読みたい本がある。それも2冊も。 もともとまったく読書家ではない私が今夏辺りから本がそばにいつもある生活を送っている。 本を読むと自然と言葉が出てくるの🌱

          『ありがとう』と言える勇気

          一昨日から聴き始めた〖ひすいこたろう 名言セラピー〗のYouTube動画。 私はひすいこたろうさんの名は知らなかったものの、🐯のイラストは見覚えがあった。 その程度の認知から、ある人がひすいこたろうのLIVE配信の話をしてくださった。 それは一昨日よりも少し前のこと。当時は気にはなっていたが調べるまでには至らなかった。 けれど一昨日になって唐突にYouTubeを調べる、Instagramを調べ、Facebookを調べてみた。 動画を観る前からYouTubeをチャンネル登録

          『ありがとう』と言える勇気

          光あれば、影もある。

          私は光よりも影の方が落ち着く。 程よい木陰、夕暮れの屋外、照明が少し暗めの方が安心する。ホッとする。 でもそれは人もそう。 いつだって明るいだけの人はちょっと苦手。「暑苦しいな」とか「テンションについていけない。疲れる」と感じる。 明るいの裏にある暗さに私は安心感を感じてる。 むしろ「もっと暗いところを見せて」って懇願してしまう。その方が私も暗い私を安心して解放できるから。 悩みも、憎しみも、怒りも。 腹の奥にある暗い物、塞き止めている明るくはない人の感情。 そこからしか

          光あれば、影もある。

          「スキ」の有難さ。

          前にnoteをやっていた頃は「スキ」= 他人に観られている。読まれている。 そういう気持ちが強かった。 この気持ちは、私の中では『他人からの評価(観られ方)を気にし過ぎている』という少しネガティブ寄りの感情を抱いている。 ただ、今回は少しラフは気持ちで「スキ」を捉えてみようと思った。 それは『「スキ」は応援』という一文を見たから。 応援であろうと観られている。読まれている。その事には変わりはないと思うが、 私の捉え方を少しズラすことでnoteへの向き合い方が変わったりしな

          「スキ」の有難さ。

          【note復帰。初投稿】 何度もnoteのアカウントを作っては、書くことが嫌になるたび抹消。これも何度目かのリスタート ただ以前とは違って、伝えたいこと、書き残したいこと、叶えたいことが格段に増えた。 『やりたいこと』を叶えるための自己開示と自己表現。いまはそんな場になりそう

          【note復帰。初投稿】 何度もnoteのアカウントを作っては、書くことが嫌になるたび抹消。これも何度目かのリスタート ただ以前とは違って、伝えたいこと、書き残したいこと、叶えたいことが格段に増えた。 『やりたいこと』を叶えるための自己開示と自己表現。いまはそんな場になりそう