中村徳男 (Norio Nakamura)

■CXD、アートディレクター、建築家、Artist。BLAVA Design代表。 多…

中村徳男 (Norio Nakamura)

■CXD、アートディレクター、建築家、Artist。BLAVA Design代表。 多摩美術大学卒業後、SHISEIDO(資生堂)インハウス・クリエイターとして過ごしました これからの【粋に流れる日々】を綴ってまいります。 http://www.blava-design.com

最近の記事

「ニューシネマパラダイス」を描いてみました。

ニューシネマパラダイスの映画 今から30年以上も前、母が初めて上京して我が家に来た際に家で一緒に観た🎥映画が「ニューシネマパラダイス」だったのです。 あの主人公のトトが成長して故郷を離れ単身ローマへ上京して行き、都会で揉まれながら成長して 父とも呼べるメンターの葬儀のために30年ぶりに帰郷する。 なぜかそのストーリーは私の姿をもを投影しているかのような映画でした。 この私は年二回は必ず帰省してはいますが。 母もこの映画には感動した様子で、帰ってからも何度も観たのだろうが、あ

    • 情誼〜誠意を持って付き合っていく心

      「カレッジ·オブ·デザイン」のチャレンジ 3年前に前職場を無事に退職し、独立してやっていく事になったのですが、丁度コロナ禍に突入していく時期に重なりこの先どうなることやらとも思っていました。 まぁ、これを機にじっくり自分の家を自ら設計デザインし、建て替える事にしたのです。 「家」は何とか無事に完成しました。  其の頃、外出がなんとか出来る時期になり、昨年の9月より、縁あって都内の大学、大学院で教鞭を執る事になったのです。 美術系では無い一般の大学·経営学部でデザインを中心

      • 伊集院 静さんの思い出

        伊集院静さんが亡くなられた。享年73歳。 伊集院さんの思い出は、私が資生堂デザイナー時代に銀座の本社からすぐ前のビルにBarがあり、上司や先輩達に連れられて行かれたのが最初なのです。 店名を「Barいのうえ」さんと言います。未だOpenまもない頃であったようです。 そこの看板が、筆文字で書かれてあったのだがなんとも言えず味のある良い文字だなと思いましたが、 聞けば、小説家の伊集院静さんに書いてもらったと聞き、コースターには『ん。いのうえ』と書かれたもので、ん⁈というところに

        • ふたたび、放浪画家、山下清さん

          前回、山下清さんのnoteをUPしてから2年が経った。 先日、17年ぶりに新宿で開催されている「生誕100年山下清 展」を観てきた。 大勢の観覧者で賑わっていたが、今年一番楽しみにしていた展覧会である。 展示作品は貼り絵(切り絵)を中心に、水彩画、ペン画、焼物、油絵等多岐に渡った。 17年前と展示数は余り変わってはいなかったが、前回は、この貼り絵の緻密さに驚愕したのだが、 あれから作品集、日記著作、映画等多くの書籍や映画、ドラマ化を読んで、観てきていた。 今回は何より原画

        「ニューシネマパラダイス」を描いてみました。

          資生堂クリエイティブで学ぶこと❷

          『あいだにあるもの〜資生堂のクリエイティブワーク series.1』先日、銀座資生堂ギャラリーで開催されている『あいだにあるもの〜資生堂のクリエイティブワーク series.1』を観に行って来た。 https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/6201/ 資生堂の1970年代の男性物広告、香水広告を中心にクリエイティブワークの一端を紹介する企画展である。 懐かしさは勿論だが、広告と言うものがグラフィックデザインの中心であった時代にポ

          資生堂クリエイティブで学ぶこと❷

          自分の中に「孤独」を抱く。岡本太郎

          私は高校生の頃、孤独だった。 スマホもSNSも当然無い時代で地方の田舎の学校では周りでは芸術を志す者は殆どいなかったからだ。 芸術の話をしたくても話せる友人はいない。 そんな中、本を読んだ、芸術に関するもの、芸術家のもの 中でも岡本太郎さんの本は刺激を受け触発された。 幼い頃はTVでおかしなおじさんだなという感じで見ていたが。 直接はデザインとは関係はないが 「芸術の根幹」にある若さゆえに持ち得る何かエネルギーのようなものも浴びたのだ。 普通の大人が言う真逆のことを言う中

          自分の中に「孤独」を抱く。岡本太郎

          蒼穹の旅へ

          蒼い空が広がっていた。 学生時代から上京して いつでも帰れる田舎が有るから都会で思いっきり頑張れた気がする。 そう思ってやってこれた道のりがある。 クリエイティブの源がここにある。 上京の度に又元気に戻って来ると思った。 懐かしい故郷は、いつまでも変わらずにいてくれた。 僕も親も少しずつ歳をとって来ましたが、 「元気に頑張りんさい」とホームから見送られて来た。 何十年も帰省出来たんだな。 そして あと何回帰って来れるのだろうかと数えてしまう歳にもなった。 感謝

          資生堂クリエイティブで学ぶこと❶

          【世界観の広がり】 資生堂クリエイティブに携わってくるとみるみるうちに世界観が拡がってくるのに実感が湧きます。 見たこともない物や経験が積み重なってきます。 グラフィックの制作では、企画部門から降りてきたブリーフィングに沿ってシーズンプロモーション(春、夏、秋、冬)で例えば、一つのプロモーションをする場合には、社内スタッフでクリエイティブ部門のCD、AD、グラフィック&パッケージデザイナー、コピーライター、CM WEB担当、スペース、プロデューサーがタッグを組みます。 ほ

          資生堂クリエイティブで学ぶこと❶

          天使がくれた切符

          【スケッチ会】 先日の日曜日、スケッチ会というものに参加してきましたよ。 前日、スケッチ道具一式をキャリーバックに詰めて準備万端かな。 当日は11時集合ということで、築地の聖路加病院内のトイスラー記念館という建築物。 聖路加国際病院の宣教師館として昭和8年(1933)に建設された趣のある建物。病院内にこんな記念館があるとはちょっとびっくり感でした。 晩秋の休日で周りは紅葉で木葉の落ち葉もたくさん。 いつもスケッチは一人で気に入った場所で時間も気にすることなく自由に描いてい

          天使がくれた切符

          放浪画家、山下清さん

          昔からこの人には敵わないな。という画家に山下清さんがいる。 小学生の頃の教科書に貼り絵の見本で出ていて、これは一体なんだ。下手なのか上手いのか分からないと思っていたが。 先生からこれらは知的障害者の生徒が描いた絵だと言われて、障害がないと作れないのかとも思っていたのだ。 それから大人になり展覧会を観る機会があり現物を観たがこれが聞きしに勝る緻密な貼り絵で、特に線路や花火がこよりのように細くされたものを一つひとつ重ねて貼っているのには凄いとしか言いようは無かった。 絵画鑑賞は

          放浪画家、山下清さん

          一冊のバイブルの本

          昔、建築っていいな〜と思いながら眺めていた本がある。 こんな家を建ててみたい、住めたらいいなと夢描いていた頃。 未だ日本にもモダンデザインが浸透していなかった頃で 海外のカッコいい、なんて機能的なシンプルさなんだろうと憧れていた。 さぁ、実施設計の段階に入ったMy home。 打合せも何度も行って約1年間の期間が経ったが、 少しでもこの夢に近づくためにもうひと頑張りだ。 こだわりの細部にわたるまで考え抜いてみたい。 じっくりと構想も練って来て自分で創って納得が出来るものを仕

          一冊のバイブルの本

          蒼穹

          夏がもう終わってしまう。 この日は、新しくなった車で海まで来ていた。 真っ青な空だ。 もう海岸通りも空いていていい感じだ。 ふと、ほとんど人がいない海岸で戯れている若者を見ていた。 この時期がなぜか寂しくも有り懐かしく感じてしまう。 あんなにたまらなく暑くて、涼しくなるのを待ち焦がれていたのに 徐々にその暑さが波のように引いてしまうのはやはり寂しく感じてしまう。 ひと夏が終わると一つ大人になって行くという歌が有ったけれど この後には、過ごしやすい秋が来る。 毎年、どこか

          資生堂クリエイティブの独立。

          資生堂のクリエイティブ本部(旧 宣伝部、宣伝制作部)は来年設立150年になるが、今まで日本のトップクリエイティブを生み出してきたことでも周知であり、多くのクリエイターを輩出してきた。 大卒での入社のハードルの高さや入社後の業務の結果やクオリティは超高レベルを要求されるが、その周りの先輩や仕事を通して出会う人たちやクリエイターがもはや、レベルの高い人たちばかりだった。『美しい生活文化の創造』の基に、美意識を極限まで追及して行く企業文化で育まれてきた事も財産でした。 創業の地、

          資生堂クリエイティブの独立。

          人生と車生–2

          愛車とのお別れ 昨日、25年間連れ添ってきた愛車とお別れをした。 もはや家の一部でいつも居るはずのぽっかりと空いた駐車スペースがとても寂しい。 走馬灯のように今までの思い出が蘇ってくる。 家族の一員である。 先日の2年に一度の車検日とき、修理が必要で工員の人から場所を一つ一つ説明を受けたが、見た時は満身創痍の症状でよくここまで、本当にこれ程までに頑張ってきてくれたと愕然とした。 手当、修理をすれば後数年は未だ保ってくれるだろうが、これはもう限界だろうと感じた。 もうそろ

          夢が最後まで見れる。

          ここ1ヶ月はデザインの仕事があり、なんとか其れが終了した。 HPの制作だが、全てを私一人でやり切ったのだ。今までは会社のスタッフたちでこなして来ただけに大変ではあったが何より創って仕上げた物が喜んでもらえた事が嬉しい。 その間は集中期間であってnoteの執筆も滞っていたが。 今朝は、6時に目が覚めた。 この1年は目覚まし時計をセットしていない。 考えてみれば、幼少時代からは母に起こされ、それから目覚まし時計で目を覚ます人生になり、学生から社会人までずっと目覚ましで起きる習慣

          夢が最後まで見れる。

          人生と車生

          日本では古来、「九十九神(つくもがみ)が宿る」という言葉がある。 この「気持ち」は長く愛おしみ、大切に扱うことで物にも結局は私たちの生活を「守ってくれる」のだと感じる。  久しぶりに、愛車を動かさないといけないと思い近くの公園まで。 愛車といっても、もはやビンテージの域に入ってると思われる25年の老車である。私と共に血気盛ん?!な頃を走ってきた。  私がこの車に決めたのは、30年も前、欧州旅行の際に当時はドイツのアウトバーンは、無制限だったが、1車線はバスや小型車が走行し