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デザイン思考再考−「共感」から「コミットメント」へ−

連休の間、時間ができたばかりに普段は考えないような余計なことばかり考えてしまいます。

個人的なこだわりではありますが、デザイン思考(この論考では限定的にIDEO−d.school的なデザイン思考を指します)のプロセスの始まりにある「共感(Empathize)」というステップに(文字通り)共感はしつつも、どこかでずっと違和感を感じていました。

https://dschool.stanford.edu/

デザイン思考の根底にある概念が「人間中心デザイン(HCD)」である以上、最終的にデザインされる何かしらの対象物のユーザーとなる人の経験を理解し、問題となっていることや期待されている望ましい状態に思いを馳せることは大切なことではありますが、なんとなくその行為・態度がデザイナーを「上から目線」にしているような気がしてなりませんでした。
 
現場で人を観察し、対話をすることで人(ユーザー)の世界に身を置くとは言いつつ、どこかで自分自身はその現場からは距離をとり、その現場と人を客体化(客観視)して安全圏から物事を考えるような非対称性、ヒエラルキー性を感じてしまいムズムズしてしまいます。

その点について、なぜデザイン思考では「共感」が'Sympathy'ではなく'Empathy'であるべきか?をニールセン・ノーマングループのSarah Gibbbonsが書いていますし、その考えはもちろん頭では理解してはいます。でも、その態度が同情的であれ、現場に身を置きつつもある意味「メタ視点」で世界を見るのであれ、いずれにしてもデザイナーを超越的な存在として扱う「上から目線」感をどことなく感じてしまい、わかっちゃいるけど気持ちわるい感覚をずっと引きずっています。

そんなムズムズをすっかり忘れていた先日、厚生経済学の権威でありノーベル賞受賞者でもあるアマルティア・センの論文集『合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究』(勁草書房, 1989 )を読み直している中で、ムズムズを解消するヒントのようなものを見つけました。


本書の標題にもなっている論文(原著論文は 'Rational Fools : A Critique of the Behavioral Foundations of Economic Theory.' )でセンは、「共感」と「コミットメント」の違いについて論じています。
(この論文で「共感」 に用いられている単語は'Sympathy'ですが、上述のGibbonsの用語の定義に照らすと、'Empathy'と同義に考えてよいと思います。)

センは、「共感」は相手への同情や感情移入が自分自身に影響を与える場合の感情を指し、それをなんとかしたいと感じることで、「コミットメント」は他人の苦悩によって自分自身の境遇は特に悪化したりしないけれども、その状況がどうしても許せず何かを起こすべきだと感じることによる決意のようなものだ、と言っています。(原文をざっくり筆者意訳)
要するに、「共感」は(それが'Sympathy'であれ'Empathy'であれ)結果的には利己的な感情・行為で、「コミットメント」は非ー利己的な感情・行為であるという区分です。
(ここで興味深いのは、センは「非ー利己的(non-egoistic))」とは書いているけれども「利他的(altruistic)」とは言っていない点です。)

ちょっと雑な読み替えかもしれませんが、「コミットメント」は、自分自身を安全な圏外に身を置いて外野から物事を見るのではなく、本来の意味で現場に身を投じて、非ー利己的な立場でなすべきことをなす決意をすることだと言えるのではないでしょうか。

このセンの考え方を強引に引っ張ってくるならば、デザインの思考やHCDのプロセスの始まりにおいてデザイナーにとって大切な態度であり行為は「共感」ではなく「コミットメント」なのではないか。もしくは、共感ののちに意図的にコミットメントすることではないかしら、と考えました。
センは「共感」を否定しているわけではなく、他人を援助する行為が必ず共感に基づいていることはみとめつつも、より非ー利己的なのはコミットメントの方だと、と論じています。
ですので、共感から始まるのは悪いことではないけれども、他人の利害(筆者意訳:センは「厚生(Welfare)」という用語を使っている)が自分自身の利害に良い影響を与えることを前提になすべきことを選ぶ(選好する=preference)のではなく、功利主義的な合理性と、普遍的な道徳性を二分法で分ける選好基準を宙吊りにすることで、本来「なすべきこと」を決める決意をすることがデザイナーには求められる、と考えると長年のムズムズがちょっと和らぎました。

それほどのコミットメントを求められることはデザイナーには荷が重いことではありますが、だからこそ超越的な個人にだけデザイナーの役割を背負わせるのではなく、経営レベルを含むコレクティブなチームとしてのデザイン組織がますます必要とされるのだと考えると、昨今のデザイン経営に対する機運の高まりについても腑に落ちるのではないでしょうか。

つってね。

■参考文献・出典


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