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坊主のいない一周忌

先週、父の一周忌のために実家に帰りました。金曜日の3月31日が命日で、午前中に法要があるので、その前日の夜に着くよう新幹線に乗りました。会社は堂々と休みました。

法要はお坊さんに実家に来てもらって行うことになっています。朝起きた後、去年仕立てた喪服に身を包み、父の位牌の前で静かに待ちました。

去年、客先を訪問する前に待っていた喫茶店で受けた突然の悲報の電話。そのことを一切表に出さずにクライアントとのミーティングを終えて、関係者にメールを送って急ぎ実家に戻り、無言の対面を果たしたこと等を思い出していました。

そんな中、妻子が胃腸炎でえらいことになっているという連絡がありました。特に子供の症状が重いようで、これは私のサポートが必要だと判断し、法要が終わったらすぐさま東京に戻ることにしました。本来は実家のゴミの片付けの続きを手伝うためもう1泊する予定でしたが、やむを得ません。

心がざわめく中、法要の時刻を待ちます。しかし、約束の時刻になってもお坊さんが現れません。10分を過ぎて、忘れているのではないかと母に伝え、寺に電話をしてもらいましたが、つながりません。スマホの番号は知らないそうです。

結局1時間経っても現れなかったので、諦めて取り寄せていた昼の弁当を食べて、予約し直した新幹線に乗って東京に帰りました。

坊さんから電話が来たと母からメールで連絡があったのは、私が東京駅に着いた頃でした。忘れていた、とのことでした。また週明けの月曜日に伺うとのことでした。私は呆れ返って、もうお布施払わなくていいよと伝えました。

東京の家に戻ると、すでに妻子の症状は落ち着いていました。ただ炊事洗濯などの家事は私がやらねば、と意気込んでいると、急に咳が激しくなってきて、夜もむせるような咳が何度も出てよく眠れませんでした。

そして翌朝、40度近い熱が出て、丸1日寝込むことになりました。妻子のサポートどころか、私が介抱される側となり、役立たず、と言いたげな妻の視線を感じながらベッドにうずくまっていました。

何をしに実家に戻ったのかも、何をしに東京にとんぼ帰りしたのかわからなかった日々。無為、とはこういうことを指すのかと、熱が引いてからも私はベッドで呆然としていました。

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