CORO-GIVS

育児休暇明けのITコンサルタント 新プロジェクト参画中

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最近の記事

2周忌を迎えて

今日は父の命日でした。といっても、母の家に子供を連れて遊びに行き、いつも通り父の遺影の前で線香を上げていた時、今日って命日じゃない? と聞いて、ああそうだったね、と母がのんびりと答える感じでした。 来年の3周忌は坊さんを呼んだりすると思うのですが、今年は取り立ててイベントはありません。そのためでしょうか。人が死ぬと、こうも容易く忘れ去られるものかと、自分ごととはいえ寂しく感じます。 子供は当然覚えていないので、お食い初めの時に父(子供からすると祖父)に抱かれている写真を見

    • 言葉の人になりたくて

      昨年の秋ごろからプロジェクトが炎上し、なんとかそのプロジェクトを終わらせたあとも、社内プレゼン資料や提案書を超短期でいくつも書かなくてはならない状況に陥り、まともに休む間もありませんでした。この3月になって、ようやく一区切りがつきました。 仕事が忙しくなって辛いのは、プレッシャーを受けるとか、寝る時間がなくなるとか、そんななかでも家庭との両立を考えなくてはならないとか、色々あるのですが、何よりも厳しいのは、本を読む時間がなくなることです。 もちろん仕事をする上で必要な本や

      • 最長記録

        今の会社に入ったのは、8年前の7月でした。同じ会社に8年も勤めるのは、私にとって最長記録になります。 前の会社に勤めていたのは7年半。私が無職で彷徨っていた時に拾ってくれた恩ある会社であり、居心地も良かったので、ずっと勤め続けるつもりでした。5年目くらいからは、システム開発のプロジェクトリーダーやマネージャを歴任し、それなりの地位も保っていたと思います。 しかし、このままで良いのかという思いが去来していました。毎日毎朝です。本気で、自分の意思で、生きていない感じがしていま

        • 引っ越しプロジェクトを終えて

          奈良の実家から、東京の新居へ、母の引っ越しが終わりました。 家を売る話が始まってから約半年くらいでしょうか。大きなトラブルもバタバタもなく、非常にスムーズに終わったので、私自身としても大変驚いています。 大体私が今まで引っ越しをしたときは、ギリギリまで片付けが終わらず、明らかに要らないものも適当にその辺の箱や袋に詰め込み、それでも間に合わずに引っ越し業者が来てからも整理を続けているようなことがたいていでした。 今回は、家を売る契約を進め、新居の契約も進め、30年以上住ん

        2周忌を迎えて

          ギターを弾く

          私は、ピアノは全く弾けませんでした。長男のピアノ演奏会の伴奏役を務めることになり、急いで練習してなんとか成功裡に収めたのは前回記事に書いたとおりです。 ピアノ「は」弾けないと書いたのは、ギターは弾けるからです。厳密に言うと、今はすぐには弾けませんが、大学ではクラシックギターのサークルに入っていて、プロの先生にも習っていたこともあります。年に2回くらいコンサートがあり、結構な広さのホールで、多くの聴衆の前で演奏を披露したりもしていました。 社会人になってからしばらく弾くこと

          ギターを弾く

          ピアノを弾く

          私の長男はピアノを習っています。地元に老舗の、しかも超有名国際ピアニストも輩出しているピアノ教室が丁度あったので、そこの門を叩き、毎週末通っています。 きっかけは、藤井風という歌手に、3歳にしてえらくハマり、何度も何度も聴き込んでいたことでした。2歳の時には郷ひろみにハマり、「2億4千万の瞳」の歌詞も暗記していたほどでしたが、その熱はもう冷めてしまったようです。 その藤井風が、幼少期からピアノを習っていて、youtubeでもピアノ弾き語りの動画を多数を上げていたので、その

          ピアノを弾く

          坊主のいない一周忌

          先週、父の一周忌のために実家に帰りました。金曜日の3月31日が命日で、午前中に法要があるので、その前日の夜に着くよう新幹線に乗りました。会社は堂々と休みました。 法要はお坊さんに実家に来てもらって行うことになっています。朝起きた後、去年仕立てた喪服に身を包み、父の位牌の前で静かに待ちました。 去年、客先を訪問する前に待っていた喫茶店で受けた突然の悲報の電話。そのことを一切表に出さずにクライアントとのミーティングを終えて、関係者にメールを送って急ぎ実家に戻り、無言の対面を果

          坊主のいない一周忌

          新しい家を整える

          この週末は体調を崩して寝込んでいました。突然の寒の戻りのためか、先週の実家の片付けで捨てた10年以上放置されていた梅干しから放出された毒にやられたかは分かりません。 そんな中で、母の新しい家に電気とガスの開通日が重なり、しかもガスは開栓の時に立ち合いが必要なので、ふらふらになりながら母の新居へと出かけていきました。 水道も電気もガスも、事前にインターネットで申し込みを完了していたので、新居のマンションのドアを合鍵で開けて入ると、自動で玄関のポーチライトが点き、水道の蛇口を

          新しい家を整える

          家を売る

          この週末は、奈良の実家に戻っていました。昨年父が死に、母一人で暮らすこの家を売ることになり、家の中の不用品の片付けの手伝いをするためでした。 実家に着いてみると、すでに多くのものが消えていました。リビングにあった、飾るというよりはただ置かれていた人形群とか、読みもしない文学全集本とか、亡き父のゴルフコンペのトロフィーとか、綺麗になくなっていました。 東京からはるばる戻ってきたのに休む間もなく、母から台所にある梅酒や漬物の処理を命じられました。一体何年放置されているのかわか

          家を売る

          来年の課題は引っ越し

          昨年の年末は、父親の介護がいちばんの課題になると書き記しました。 しかし、そんな余計なこと考えんでもええ、とでも言わんばかりに、父はさっさと黄泉の国へ旅立ってしまい、今は残された母をどうするかという新たな課題と向き合っています。 母としては、孫2人の近くで余生を過ごしたい思いが強いようです。なので、東京の私の家の近くでいい感じの高齢者マンションを見つけたので、そこに引っ越してもらい、実家は売り払う方針としました。 田舎のためなのか、この情報は地元の不動産屋に速攻で出回り

          来年の課題は引っ越し

          「ありたい姿」に戸惑う新人

          「ビジョンを設定せよ」「ありたい姿を考えよ」とは、ビジネスの場合だけでなく、個人の自己成長を考える上でもよく言われることだと思います。 実際に、私の所属する部門の、40名くらいの新人たちに対しても、月1回程度で集合研修のようなイベントが開催されて、こういったビジョンとかありたい姿とかを考える機会を与えているようです。例えば自分の5年後・10年後を考えようとか、will・can・mustを整理しようとか、そんな具合です。 ところが、そのイベントに最近だと半分くらいの新人しか

          「ありたい姿」に戸惑う新人

          1歳になった次男坊

          1年前の今日、次男が誕生しました。 出産予定日その日に産まれたので、きっと時間に厳しいきっちりした性格になるのだろうと感じていました。そしてその通りに、今は夜は8時半にきっちりと寝て、朝は5時半にきっちりと起きるようになりました。 私は朝4時半に起きて、病気と入院で大きく落ちた体力を取り戻すべく、1階のリビングでストレッチ体操とロードバイク漕ぎに勤しんでいますが、5時半頃になると階段の方から泣き声が聞こえてきて、しばらく経ってから不機嫌な顔をした妻が、寝室のある2階から次

          1歳になった次男坊

          過ぎゆく時と永遠

          急性胆嚢炎で緊急入院してから、1ヶ月ほど経ちました。退院後も時折出ていた微熱もほとんど無くなり、手術跡もほとんど痛まなくなりました。 仕事も、入院前とほぼ同じようにこなしていて、先月末のプロジェクトの中間報告前は、普通に午前4時まで夜通し作業していたりしました。 私の体にメスが入れられ、胆嚢という臓器が一つ失われたことで、何かが変わった、ということはあまりないように感じていました。事実食事も普通に摂れますし、先日少しだけハイボールを自分で作って飲んでみたところ、病気の前よ

          過ぎゆく時と永遠

          ダミアン浜田陛下に謁見する

          先般の日曜日(7月31日)、聖飢魔IIの創始者にして地獄の大魔王、ダミアン浜田陛下のバンド Damian Hamada's Creatures(D. H. C.)のライブに行ってきました。 ダミアン浜田陛下については、以前の記事でも少し言及したことがありますが、聖飢魔IIがメジャーデビューする直前に脱退して、故郷で高校教師を35年務め、退職後に10万57歳という世界最高齢で、D. H. C.を結成してメジャーデビューを果たしたという、あまりに異色の経歴を持つ御方です。 私

          ダミアン浜田陛下に謁見する

          入院の記④

          経鼻チューブが入ったまま、眠れぬ夜を過ごしました。朝になり、水を飲むように勧められましたが、やはり喉が気持ち悪くうまく飲めません。 そんな事情もいさ知らず、点滴とは逆の腕に針を突き刺されて採血され、別のフロアで腹部のレントゲンを撮るため、看護師に車椅子に乗せられました。忌まわしい経鼻チューブのほか、点滴が2つと、尿道カテーテルも装着されたままでした。チューブだらけの体とはこういうことをいうのかと身をもって思い知りました。 レントゲンを撮るとき、技師から私の名前と生年月日を

          入院の記④

          入院の記③

          突然、私の名前を呼ぶ声が聞こえました。何度も呼ばれ、目を開けると、「よしっ」という声が聞こえました。 先ほど予定通り手術終わりました、と聞き覚えのある声が聞こえました。説明を聞き続けると、病状を説明した女医さんということがわかりました。まだ頭も体も痺れている感じがしたまま、天井のみが動いていました。天井の動きが止まり、病室に着いたことを告げられました。 麻酔が大分醒めてきて、普通に会話できるようになりました。しかし、喉の奥がつっかえる感じがしたので、そのことを訴えると、鼻

          入院の記③