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人の話の意図を理解できない⇔人の話の処理ができない

人の話の意図を理解できない⇔人の話が処理できないの一連のはてなエントリに対して思うこと・思い出すことの徒然


人の話の意図を理解できない、と処理できないという言葉が持つ意味の乖離は置いておいて、とっても面白いはなしだった!

それで思い出したこと。ひとつめ。文字を読むという能力についてのこと。

文字を読むまでには、二つの過程を通っている。(たしか、文字という記号を理解→脳内で変換(音に変換?)とかだった気がする)ひとつでもうまく過程がいかないと文字が読めなくなってしまうのだというような話を大学時代に聞いたこと。

ふたつめ。

もずおさんのフィリップ・K・ディックがわからないという話。


(誤解を招きがちな関係は相性が悪い。おそらく何かを、何か重要な概念を(お互いが)理解できていない。)


「人の話の意図を理解する」までには

人の言っている文言(記号としての文字)を正確にとらえる→そこから意味を解釈をする

という、二系統で構成されているのではないでしょうか。

当たり前だけど改めて考えると、どちらかひとつでもダメであれば、「人の話の意図を理解する」ことはできないのかも。

意味を解釈するパートにおいては、きっと重要概念を双方理解していることが肝要なのでしょう.

職務や業界経験の長さ、一緒に行うチームメンバー歴の長さ、使用しているツールへの造詣の深さ、もっと個人的なことだと、上司の表現の癖、仕事の工程への理解とスケジュールの癖など、そういった経験ベースから重要概念の共通認識が作られると、解釈パートの正確性があがり、話の意味が伝わりやすくなる?

しかし上司や部下との仕事歴が長くなればなるほど、コミュニケーションの正確性、話の意図が100%近く伝わるようになるというわけではないですよね。

重要な概念の相互理解、相性の良さは文言の正確性を飛ばし、私たちにきちんと意味をもたらすのだろう。本来あとから生まれる解釈が、文言そのもの=字面=記号を補完する。

だから逆に、冒頭2個目のはてなは、あまりにも解釈がうまくいってないなら、そもそも記号の読み取りをきちんとしてみたらいかがですか?という、アンサーなのである。

へー!!!!!めちゃくちゃなるほどね!!!!!!!!もしかしたら、私も、コミュニケーションおばさんになれるかも???

とか思ってインターネットをうろうろしてたら、下記記載している本を見つけたので読んでみたいと思う。

私たちは、見ろと言われたものを想像するが、見ろと言われるであろうものも、ページの先まで想像している。登場人物が角を曲がったなら、曲がった先に何があるかを(作者が語ろうとしなくても)推測しているのだ。

https://honz.jp/articles/-/41578


目指せ!老害コミュニケーションおばさん!

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