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童話からも学べる心理学

みなさんこんにちは! こしあんです。

突然ですが、みなさんはイソップ童話の「すっぱいブドウ」の話をご存じでしょうか。
私は読んだことがないのですが、心理学の本などを読んでいると、よく引き合いに出されています。

人は不快だったり、都合が悪い情報を自分に都合よく解釈することがありますが、これを心理学では「認知的不協和」と呼んでいます。
イソップ童話の「すっぱいブドウ」は、登場するキツネを通してその心理が描かれているそうです。

今回は、矛盾があるにも関わらず、自分に都合のいいように考えてしまう「認知的不協和」についてのお話です。


【なぜあの人は、なんでも自分の都合のいいように考えられるのか?】

「認知」という単語は、ドラマなどで「この子を認知して!」なんて使われ方をしているものを聞いたことがありますが、認知とは認識と理解に関する精神的過程のことを言います。
外界にある対象を知覚し、それを記憶や注意、思考、言語なども含めた広範で複雑な高次の情報処理機能により、解釈、理解する。
または、知識を得る心理的過程のことを指します。

また、私たちはそれぞれの物事に対する態度、考え、信念、意見などを持っていますが、このような要素のことを「認知要素」と呼んでいます。
私たちは、この認知要素の関係が矛盾なく、できるだけ調和のとれたものになるように、態度や信念を調整しようとする傾向があるわけです。

たとえば、夏の暑い日のことです。
仕事終わりに「ビールをぐいっと飲みたい!」と思ったとします。
しかし、あなたは医者に、この前の健康診断でアルコールを控えるように言われたばかりです。
お酒が好きな人にとって、アルコールの取り過ぎが身体に悪い影響を及ぼすことを認めることは認知的不協和を引き起こします。
そのため、アルコールが及ぼす悪い影響についての情報には近づかないようになります。

それでも、都合の悪い情報から逃れることができず、飲酒もやめられないために認知的不協和が生じた場合、「少量の酒は身体にいい」とか「社会人にとって飲みニケーションは大切なんだ」などといって、不協和の解消を試みたりするわけです。
実際、私自身もこういう経験はあります(笑)。

しかし、なぜこのように”矛盾をなくそうとする”のかといえば、自分には一貫性があるという強い欲求があるためだと言われています。
そのため、下手な言い訳を考え矛盾を少なくし、どうにか自分の都合のいいように解釈しようとします。
つまり、たとえ間違っていたとしても、筋の通った人間でありたいと考えているわけです。



【甘いレモンとすっぱいブドウ】

イソップ童話の「すっぱいブドウ」では、お腹をすかせたキツネが森の中で美味しそうなブドウを見つけます。
キツネはブドウを食べたいと思いましたが、どうしてもブドウの房に手が届きません。
そのうちキツネは「あれはすっぱくて美味しくないブドウだ」と言いながら去っていくというお話です。

つまり、「美味しそう」という認知と「届かない」という認知の間で矛盾が生じている状態です。
そこでキツネは「美味しそう」という認知要素を「すっぱくて美味しくないに違いない」という風に考えることで調和を保っています。
これをアメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガーは「認知的不協和」と名付けました。

この認知的不協和を調整するために、先ほどのキツネのように不協和をおこしている認知的要素のうち、一方を変化させたりすることもあれば、認知的要素の重要性を変えたり、新たな認知的要素を加えたりすることもあります。

そもそも、私たちは自分自身を好意的に考える傾向があります。
自分が知的で、少なくとも良い判断ができるという信念や、自分は善良で思いやりがあるという信念は重要な部分を占めています。
しかし、その自分が愚かなことをしたり、人を傷つけたりすれば、自分についての信念(自己概念)に矛盾が生じて、認知的不協和が生じます。
不協和状態は不快な緊張を生み出すため、私たちはその緊張を低減させようと試みます。
つまり、自分の行動についての解釈を工夫し解消しようとするわけです。
そしてこの場合、人は自己正当化という形を取ります。

たとえば、ある人に対して自分が暴言を吐いたとします。
その理由を「あの時、私はイライラしていたから」と考えたりしますが、自己正当化としてはまだ不十分です。
そこで、相手のことを「あいつは気が利かない奴だから」とか「ちょっと痛い目をみなければいけないからそうしたのだ」と解釈します
そうすることで、暴言は自分自身に正当化され、不協和による不快な緊張は低減されていきます。

また、社会心理学者エリオット・アロンソンによれば、「我々がわざわざ愚かなことをしてしまった状況」、「我々が他人を傷つけてしまった状況」は人に認知的不協和を生じさせると言っています。

わざわざ愚かなことをしてしまった状況とはどんな状況なんだ?
と思ってしまいますが、あれこれ考えた末に行動した結果が大失敗だった時の事を言い、特に他にも選択肢があり、そちらを選んでいた方が良かったかもしれないという場合のことを指します。

私たちはこのような場合に、「甘いレモンの合理化」「すっぱいブドウの合理化」のいずれか、もしくは両方を使って認知的不協和を低減すると言われています。
甘いレモンの合理化では、自分が選んだもののポジティブな面を強調し、ネガティブな面を無視します。
すっぱいブドウの合理化では、逆に自分が選ばなかった方、つまり捨てた方のネガティブな面を強調し、ポジティブな面は無視するというわけです。
先ほどの「あれはすっぱいブドウに違いない」というキツネの考えは、ネガティブな面を強調していると言えます。


【レオン・フェスティンガーの実験】

認知的不協和を知るためにこのような実験が行われました。
まず、集まってもらった参加者に非常につまらない作業をしてもらいます。
その後、次に実験へ参加する人たちに「この作業は面白いと伝えて欲しい」とお願いします。
このとき、その謝礼として、半数の参加者には20ドルが、残りの半数の参加者には1ドルの報酬が約束されました。

フェスティンガーたちは、その時こう考えたそうです。
20ドルをもらった参加者の場合、嘘をつくに見合う十分な謝礼をもらっているため、「報酬のために嘘をついた」と考え、嘘をつく行為を正当化できて認知的不協和が弱くなる。
一方、1ドルしかもらえなかった参加者の場合、嘘をつくに見合う報酬をもらっていないので、つまらない作業を面白かったと嘘をつくことに認知的不協和を生じ、この不協和を解消するために「作業は面白かった」と自分の認知を変えようとする。

実際、実験の結果は予想通りで、1ドルをもらった参加者は20ドルをもらった参加者より、作業が面白かったと評価しています。


【認知的不協和がもたらす影響】

みなさんも会社や部活に入ったとき、「しごき」と称されるものやバカげた「伝統」というものがなかったでしょうか?
新入社員の研修で深夜遅くまで大声を出させたり、駅前で歌を歌わせたりするような会社もありましたが、今でもあるのでしょうか?

一見、なんでこんなことをするのかわからないこの加入儀式(イニシエーション)ですが、新人に精神的・肉体的苦痛を体験させるためにさまざまな集団で行われています。
いわゆる体育会系と言われる会社に多いと思いますが、こんなにも辛い体験をしたのになぜか強い愛着が湧いたり、その組織の一員であることに誇りを持つようになるのか、不思議に思ったことはないでしょうか?

私自身、このような体育会系の会社に入社した経験があり、3週間という短い研修ではありましたが、途中で研修先から脱走してタクシーでそのまま家に帰る猛者もいました(笑)

さて、このような「しごき」と認知的不協和との間に何の関係があるのか?

不思議に思うかもしれませんが、この辛い研修を乗り越えた人について考えてみてください。
あなたが苦痛や恥辱に耐えてまで入った集団が、実際にはとてもつまらないものだった時、どう感じるでしょうか。

「あんなに辛い思いをしたのに!」とか、「自分の苦労が報われない」と感じるかもしれません。
しかし、私たちは「自分は人より賢く、より良い判断ができる人間だ」という自己概念を持っているので、辛い思いをしてまで手に入れたつまらない仕事との間で認知的不協和が起こります。
その不協和を解消するために、その集団が素晴らしく価値があり、その集団に属することは誇りなんだと自分自身で信じ込むようになるわけです。
ちなみに、カルト的宗教集団はこのような方法を使っていたりします。

もちろん、絶対にこのような思考になるというわけではありません。
人の認知的不協和解消の方法は他にもあるからです。
そもそも、このような試練の感じ方は人によって異なります。
この試練を「たいした事なかった」と感じれば、その集団に入った後、集団の価値についてそれほどの思い込みなしに判断することができます。

最後に、

認知的不協和を解消するのに、イソップ童話のキツネのようにちょっと強がってみることは誰にでもあるのではないでしょうか。
そのくらいならば可愛いものかもしれませんが、この性質を使って人を支配しようとする人たちも一定数います。
この認知的不協和に惑わされないようにするには、自分にとって不快に感じる情報をどのようにして扱っているかに注目しなければなりません。

都合の悪い情報を自分に都合よく解釈しているのであれば、”認知的不協和を解消しようとしている”と言えるのかもしれませんね。


今回はここまで

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それではまた次回お会いしましょう。

※この記事は主に私のアウトプットを目的に書いているものです。
参考にした資料(主に読んだ本)をもとに考察したもので、私の主観が多分に含まれています。
そのため、参考にした論文とは結論が異なる場合があります。
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