見出し画像

結局怖くて発信できない

ということを堂々と発信するという矛盾。発信というより叫びです。

3日前くらいに、まだ就職も決まっていないくせに「内定者にむけた仕事の本」みたいなのを読んでいた。文章の作り方がいかに大事かが書いてあって、結構衝撃的だった。それに加え前から父にESの文章が飛躍してるといわれていたので(こちとらnote結構つづけてるわ!と思いながらも同意はします…)もうそれならnoteで文章公開練習しようと思って。それで宣言するのが早いと思って。つぶやいたけど。怖くていいや…と更新できず。

同じ日にたまたま適当に買った就活本に頭をぶち抜かれてもはや文章やらESどころじゃなくなった。非常に正論で辛口なメッセージが冒頭から続く。自分がどれだけ自分の人生を軽んじて甘い気持ちで愚痴を垂れていたかを痛感する。久しぶりに自分がふがいない。

この一年間くらい、「カッコつけてないでちゃんと自分に向き合えやコラ」と何回も言われている気分で、やっとこさ本当にやりたい方を向き始めている気がする。気がしているだけ、まだ頭の角度がそっちの方にいるくらいで、体は向けられてない。

なぜか

私にとってとても大きな難関がひとつある。

「他の人に自分の一部を見せるの、なんかめっちゃこわい」

すごくやっぱりこれをいうこと自体恥ずかしいし怖いんだけど、
密度が濃くて誰も考えてないようなことじゃないという価値ないとか偏屈に思ってる節があり、、

noteも、正直SNSも、言葉を使うのには抵抗がある。(その点ストーリーは感覚的に指が投稿のボタンまで動く。)ましてや有名人や直接会ったことのない人にコメントなんて数えるくらいしかしたことがない。

なんでこんなに怖いのか、この恐怖はどうすればなくなるのか!?!?!?が輪郭しかみえなくて、自分でまっすぐに認められなくて、

それならもうnoteで言えばいいや、誰か助けてくれ、、
という次第でこうなりました。

まずは何よりも、今取り組んでいる就活本(というより人生本?)を終わらせることに専念します。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?