白杖使用者の日常―外出準備編

白杖を使用しているからと言って、視覚情報を全く扱うことが難しい人と、そうでない場合がある。人によって見え方も違えば情報処理のやり方も全く違うので、これもあくまで私の場合…しかも、最近の私の場合。

私は、普段かなり時間帯を制限した上、工夫を重ねてではあるが、視覚情報を扱って事務作業もする。
そのため、最低限、少しであれば、そしてそれをその日の最優先事項としてもってきて予定しておけば、こなすことができる。

翌日に外出の予定が控えている場合、私はかなり大きな心構えをする。
そして、前日と、当日の朝には必ず、最優先事項として、その外出先の情報、そこに行くまでの道順、公共交通機関の時刻などを、確実に調べ記憶する作業に充てる。(それより以前の日程にも実は何度かそれを行うのだが)。

去年あたりからは、もうどうしようもなくなった時期があり、肚を決めて、初めての場所や一定期間しか通わない慣れていない場所、要するに道順を確実に辿ることができるほどに憶えていない場所の場合は、最初から駅員介助をお願いしてしまうことにした。
というのも、自力で行こうとすると、乗換えや出口を探すだけで何十分もかかってしまいかねない。調べてから行こうにも、駅の構内やホームの位置、電車の止まる位置(電車を降りて右へ歩くか左へ歩くかはかなりの分かれ目だ)などまでは調べようがない。

ただ、駅員介助をお願いしたところで、駅の出口から目的地までは、自力で行く必要がある。そのため、これは私は今のところ、何とか視覚情報を扱うことができる時を見計らい、いっとき、全力で、Googleマップで記憶する作業を確保する。
しかし、私は視覚情報の認識の具合に問題があり、視覚情報を何とか入れてみたところで、視覚情報を視覚情報として記憶することができない。
そのため、ここを出て右へ行って右側への折れ道を何本やり過ごしたところで更に右へ行って…などという手順、経路を徹底的に何度も何度も覚える。
そして、Google mapには、実際その現地へ行ってみる(その場の写真でシミュレーションできる)ことができる。
それも、私は画面の動きに耐えられないので、いちいち閉眼して少し動かして静止画面をしばらく眺めて目印を認識して、また閉眼して少し動かして…というちまちまとした作業ではあるが、これによって、目印(現地ではほぼ認識不可能であろうので白杖で確認することができそうな目印、または人に聞いてわかることができそうな目印)を探し出し、何度も何度も覚える。

いざ出かける時は、ともかく天気を確認し、晴れていれば、大抵普通に行けば確実に到着できるであろう時刻の3,4本前に乗ることができるように出発する。もちろん、現地の駅から目的地までの距離があるような場合は、その途中で何があるかもわからないので、歩行予定時間も倍にとる。

白杖を使うようになってから、これで、現地到着が早すぎたことは、まずほとんどない。
やはり、どこかしら何かしら手間取っている(工夫のため時間を使っている)のだろうと思う。

また、電車を使う場合、駅員介助を利用させていただく時、まるで時間が読めない。
駅員介助は、お願いすると、まず駅員さんはその場で案内可能な駅員(人手)を手配し、そして乗車する電車を確認し、その電車の車番と時間、位置、私の外見の特徴などを全て含めて、中継駅や目的駅に次々電話をして連絡網を確立し、手配してくれるようだ。
そして、ホームまで連れて行ってくれると、そのホームでまた、どの電車に乗ることができるか、乗った位置など、再び中継駅や目的地駅に連絡をわたす。もしこの辺りの情報に間違いや一本、一扉分でもズレが起きたりしたら、中継駅で駅員さんと落ち合うことができなくなり、大変なことになるからだろう。
この連絡が終わるまでに、電車が数本来てしまうような場合には、敢えて2,3本あとの電車に乗せると決めて連絡を回す場合もある。
駅や時間帯によって(更には込み具合の激しい駅なら尚更だが)、駅の有人改札において駅員介助をお願いした時にまずこれでどれだけ時間がかかるかわからない。即座に案内してもらえる場合もあれば、その場で10分以上待つ場合もある(帰宅時などは実は吐き気と闘いながらであったりするので、駅員介助の利用の判断もなかなか難しいのだが)。
そして、ホームまで案内していただいたところで、不思議なことに最近は、連絡をしている様子もなく来た電車にそのまますぐ乗せてくれることもあれば、ホームで「ちょっとここで待っててくださいね」と言って私から離れ、車番を確認して連絡をしに行き、その間1,2本電車をやり過ごし、しばらくして駅員さんが戻ってきて「お待たせしました、では次に来る電車で行きますね、あと3分ほどお待ちください」などとなる場合もある。
この辺りで出発駅だけで両方時間がかかれば、当初の予定より合計で5本ほど後の電車に乗ることになる場合もあるわけだ。

中継駅が多ければ多いほど、全ての駅でこれが起こる可能性がある。
しかも、会社の違う電車の乗り継ぎだったりすると、駅員さんの引継ぎで、なかなか時間がかかることも。

駅員介助は本当にありがたいのだが、しかし時間が読めない。
だからといって自力で行こうとすると結局わずかな情報を探すために数十分かかったりもしかねないので、やはり慣れていない場合はお願いする。

とにかく早めに出れば良いのかというと、そうではない…。
というのは、晴眼であれば、早く到着した場合はその辺りを散歩してみたり近くの店でも見つけて入っている手もあるが、我々はそれができない。散歩でもしようものなら即座に方向を失うし、手ごろな店など見つけようがない。

この辺りは、非常に難しい。

ついでに、私の場合、だが、準備にもこれだけ周到な手続きを踏むため、そしてその手続きを踏むという事務作業ができる余力が限られるため、連日の外出はほとんどできない。
いや、そもそも、外出は閉眼状態であれ光の落差を受けたり全神経のアンテナを集中するなど重なる大事業であるため、帰宅するともう大旅行の後のように疲れてしまう。眼痛頭痛や眩暈など翌日まで響くと、身動き取れなくなってしまう(それが更に外出などであれば危険)ため、連日の外出は慣れた場所であっても厳しい。

別に苦労話をしたいつもりなわけでもなんでもなく、ただ単に現状がこうだなとふと気付いたことを言語化してみた。
私(この器)は元々出かけるということは頻度が少なかったし、最近にしても仕事をしたとしてもオンラインが主で、よほどでなければ出かけなくてすむ生活をしている。
本当にここ最近になって、しかも仕事ではなく、福祉関係の話を聞きに事業所やら支援センターやらに出向くようになって、他、少しばかり社会に意識が広がって僅か出かけることが増えるようになって、改めてこの現状に気付いた。
そして、この現実は、実際問題、日常の支障として報告・相談案件として扱うべき「症状」であるのだ、と。

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