免許更新失敗

 誕生日が3/11だったので(おめでと〜)、4/11までに運転免許更新の講習を受けなくてはいけなくて、昨日行ったんだが視力が落ちてて、もう一回来いと言われた。試験場の職員の人たち、日々大量の手続きをこなしすぎているせいかこっちとのやり取りがすべて無情で隙のない「流れ」になっており、わたしはそういう相手に対するほど相槌が律儀に爽やかになってしまって、あとで沈んだ気持ちになる。誰でもあんなところで働いてたら「流れ」になるだろうししょうがないことだが、それゆえに、その中で「遠いところ大変でしょうけど」と言ってもらえたのは、それも流れの一部だとしても、ちょっとうれしかった、というかありがたかった。

 車で30分かけて行ったのに15分で帰ることになり、またこれから30分か…と思いながら駐車料金を事前精算し、いざ出ようとしたら駐車券をなくしている。出口でばたついているわたしを見かねて職員さんがインカムで何やら相談をしてくれて、「なくしたなら忘れ物のところに届いてるかもしれません」と言ってくれたが、後ろに別の車もきていたし、もう一刻も早くこの場を去りたくて、よけいに500円を払って出た。ライブハウスのドリンク代500円はタダと同じなのにこの500円のなんという重さ、節約を気にかけ始めたところで許されざる不注意と落ち込みながらも、「まあまあまあそういうこともあるよしょうかないしょうがない」と声に出して立ち直らんとし、この足で眼鏡やさんに行って作り直してもらおう、そんでもう来週には更新完了しようと決めた矢先の信号待ちで、ハンドル横の飲み物とかいれるところに駐車券が放り込んであるのを見つけた。二重の落ち込み。人間の無意識の動きは怖い。慌てるとさらに思い出しにくくなって本当にいいことがない。いいことがない!

 眼鏡やさんで視力を測ってもらったら矯正した状態で両目で0.7必要なところが0.5しかなかった。そんくらい大目に見てくれよと思うけどあの「流れ」の中で粘る図太さはわたしにはないので、でもあまり急に見えすぎると怖いから、0.8か9くらいになるように作ってもらった。実は近眼が進んでいるのはなんとなく気づいていて、初回の免許取得のときもギリギリだったのを検査してくれた人の温情で通してもらったような雰囲気があったため、家でできるような視力回復トレーニングを更新のひと月前くらいから試してはいたものの、持ち前の怠け癖で効果の有無を確かめるまで長続きせず、思い出してはやるくらいで当日を迎えてしまい、でも初回のときは甘くしてくれたしな……今回もワンチャン……という一縷の望みにかけて、きれいに追い返されたということになる。この奇妙な楽観、逃避癖に今まで何度煩わされたかわからないのに、立ち向かうべき場面でその敵の姿に気づけないのだ。

 それで今日。眼鏡が変わったのにあまり見え方が変わらないような気がし、心配になって自宅でできる視力検査の方法を調べ(自宅でやろうとするなと言うのに!)、なんとなく測ってみたら0.6のランドルト環が微妙に見えない。これではレンズ代4000円がパアだと青くなって昨日行った眼鏡やさんを再訪し、クレーマーと思われないようにできるだけ丁寧に遠慮がちに、店員さんに相談をしたら、もう一度視力を測ってくれて、0.8は出てるので大丈夫だと思いますが、不安ならレンズと目の距離を縮めるともう少し鮮明になるからそうしますか?と提案までしてくれて、無料で調節してくれた。なんて、なんてありがたいんだ!!昨日は「流れ」に揉まれるだけ揉まれて収穫なしで帰ったから誇張でなく泣きそうになった。一生この店をつかうぞ!!でもやはり心配なので、観劇やコンサートが趣味の人の間で人気の一時的にちょっと視界が良くなるサプリを買い、まだ心配なのでワンデーのコンタクトレンズも買った。その念入りさを事前に発揮できたら今までの数々の損失を防げたろうにな!!
 そういえば伊坂幸太郎の小説で、視力落ちてて更新が危うくなった人が列の後ろに並んでた見ず知らずの人にいきなり眼鏡貸してください!とやって切り抜けていたが、いいのかそれは?

 無くしたと思ったら全然あった駐車券は、目につくところにあると自分の愚かさがリプレイされ続けて苛立つので捨ててしまおうとしたが、次行ったときに事情を話せばもしや払い戻しがあるかも、とはたと思いとどまって保管してある。そこが唯一、今回の一連の中でファインプレーといえるところである。みんなも気をつけてね。

本買ったりケーキ食べたりします 生きるのに使います