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普通の毎日

しばらくnoteを書いていなかったけれど、久々に書きたくなりました。
ただの42歳のおばちゃんの思い出話。

この街が好き。

現在42歳、2年だけ地元を離れて、残りの40年はこの街に住んでいる。

久々に娘とジャンカラに行った。
私が学生の時にできたジャンカラ。
衝撃的な安さで、学生でも払えたジャンカラはよく通った。
友だちとジャンカラで歌って、近所のゲーセンでプリクラ撮るのが定番。
プリクラ交換して、プリクラ帳に貼って。
高校時代はその当時流行った、ルーズソックスをはいて、ラルフのベストを着て、マフラーはバーバリーを巻いて。

当時流行っていたglobe、SPEED、浜崎あゆみ、安室奈美恵、ELT、華原朋美、ドリカム、宇多田ヒカル、MISIA
友だちとALLして、声が枯れるまでカラオケで歌って帰って寝る。
今となればなんてお気楽な生活。


懐かしい歌を歌うと昔を思い出す。
その当時の情景や気持ちが甦る。


誰かを思って歌っていた歌
みんなでめちゃめちゃ盛り上がった歌
夜中の受験勉強、ラジオから流れてきたglobeのDEPARTURES
誰かが失恋したらドリカムのサンキュを歌うのが定番


高校生の頃、夕方バイトばかりしていた。
自分で払うから携帯電話を持たせて!と親に掛け合った。
何回言っても反対されて、家出までして、ある時家に帰ったら、兄に部屋にパソコンが置いてあった。

「何?あのパソコン」
「お兄ちゃんが大学で使うから買ったの」

帰ってきたばかりなのに、それを聞いてそのまま家を出た。

なんで?なんで?
私は自分で払うって言ってるのに、兄には簡単になんでも買って!!

その後、まだ安いピッチ(PHS)ならいいよ、と母が言ってきた。
でもピッチは地下には強かったけど、地上では繋がりにくくて
「電話したのに繋がらへんやんか!!」と母が怒り
「だからピッチは繋がりにくいから、携帯電話持ちたいって言ったやん!!」

で、無事に携帯電話を持つ事ができた。
当時はカケホーダイもないし、家電⇔携帯電話だと通話料がめちゃめちゃ高かった。
セルラーやらツーカーやら、くるくるピッピにパカパカ、新しいデザインや機能に惹かれてはいろんな携帯電話を持った。
親には何の形にも残らない通話料、そんな事にバイト代を払うのはもったいないと言われたけれど、私には何ももったいなくなかった。

自由が欲しくて、夜遊びたくて、口うるさい親が嫌いで、学生でバイトのくせに自分で生きていると思っていたっけ。
楽しかったし、まわりに友だちもいた、でもどこかで孤独も感じていた10代20代。
コンプレックスばかりで、自分の顔や体型が嫌いだった。

今は顔も体型もそれなりでいい。
この顔が私で、この体が私、この性格が私。
どう見ても可愛いくない私を、夫は「可愛い」と言ってくれる。
それでいい。

CMやドラマで見るような幸せ家族ではないし、娘の反抗期、障害のある息子との生活、しんどくなって母を辞退したくなる事もある。

でも歳をとるって嫌な事ばかりじゃないかも。
若い頃よりは、自分の事も好きかもしれない。

毎日充実してる訳ではない。
普通。
普通の毎日。

父が昔に言った。

「普通がいいんや、平凡がいいんや、それが幸せなんや」

そんなん何が楽しくて、何が幸せなん?
あの頃はそう言った。

そうやね、普通がいいね。
普通に暮らして、普通に働いて、普通の毎日を繰り返せている事は幸せな事やね。
わからず屋だった私も、ようやく父の言葉の意味がわかるようになったよ。

うん、やっぱり歳とったな〜。

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