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トランスジェンダーの使命

どうしてLGBTQを分類しようとするんだろう。そもそもどうして人を分類するんだろう。

わたしはMtF(Male to Female=男性で性自認は女性)として生きだしてから、女の服になり、顔を整え、喉を形成し、女性ホルモン投与して「男の自分」から離れてきた。とはいえ背も高く骨格は男だし、声もまだ「男なまり」がある。なにしろ自然の性ではないので限界がある。だから疎外され、干される。めげることも多い。そんな時、性を変える努力で自分を励ます。どこまで到達できただろうか。それを知るのが、LGBTQの多様な性のパターンである。体の性別、心の性別、性の相手で行う「8つの多様性分類」である。

男性器→自己を男性と認識→女性が好き(一般の男性)
男性器→自己を男性と認識→男性が好き(ゲイ)
男性器→自己を女性と認識→女性が好き(MtF)
男性器→自己を女性と認識→男性が好き(MtF)
女性器→自己を男性と認識→女性が好き(FtM)
女性器→自己を男性と認識→男性が好き(FtM)
女性器→自己を女性と認識→女性が好き(レズ)
女性器→自己を女性と認識→男性が好き(一般の女性)

男性器を持ち(性転換手術なし)自分を女性と認識し、女性が愛する対象というわたしは上から3行目にいる。この分類では足りないという声もあるので、中心に4パターンを足したのが次の12パターンだ。

男性器→自己を男性と認識→女性が好き(一般男性)
男性器→自己を男性と認識→男性が好き(ゲイ)
男性器→自己を女性と認識→女性が好き(MtF)
男性器→自己を女性と認識→男性が好き(MtF)
性転換女性器→自己を女性と認識→女性が好き(sMtF)
性転換女性器→自己を女性と認識→男性が好き(sMtF)
性転換男性器→自己を男性と認識→女性が好き(sFtM)
性転換男性器→自己を男性と認識→男性が好き(sFtM)
女性器→自己を男性と認識→女性が好き(FtM)
女性器→自己を男性と認識→男性が好き(FtM)
女性器→自己を女性と認識→女性が好き(レズ)
女性器→自己を女性と認識→男性を性的に志向(一般女性)

性転換手術(SRS)を受けたひとを加えて「s」を接頭語に加えてみた。「あなたエス済んだの?」「あたし、まだ」てなことである。性器を変えたい、胸を取りたいと思っても、手術は金銭面やリスク、手間というハードルがある。エスはスペシャルのSである。

ところが「男も女も好き」「性的欲望がない」という人もいるという。それはやばい。それを適用して掛け算すると、パターンはこの数倍にふくれあがってしまう。まるで夜空の星のように無数の性パターンができあがる。とはいえ一般男性と一般女性は、太陽系で最も大きい木星や土星のような大惑星であることは違いない。さしずめMtFは太陽系で最小の水星だろうか…

星か。

と考えたとき、星占いがわたしの脳裏にまたたいた。これだけパターンがあるのだから、多様性は占いになりそうだ、という閃きである。最近「しいたけ占い」にハマっているせいもある。さっそく星占いの起源ややり方をかじってハウスや惑星運行の知識を得たーふりをした。難しいのであらかたパス。

どうやって占いにするのか。まずそれぞれのパターンのひとが、どういう性格や性癖の持ち主かを知る。どういう生まれで、どういう育ちで、そういう性パターンになるのかというルートを明らかにするのだ。ひとがなぜLGBTQになるのかという謎解きだ。それにはそれぞれのパターンの人の深層心理まで探るインタビューが必要である。対象者を探すだけでたいへんだ。

次にこう考えた。体の性別、心の性別、性の相手の三要素の調査をする大規模アンケート調査をしよう。無作為抽出で回答者にあなたはどのパターンですか?と聞くのだ。その結果わかるのは、日本にはどのパターンがどれほどいるかである。だが本音をアンケートで書いてくれるだろうか。上手に調査ができれば「多様星人A-1」「多様星人A-2」などパターンにおとしこんで、「自分はどの多様星人か?」という占いにできそうだ。

さらに閃いた。占星術と合体させられないか?12の星座占いは運命や金運や相性を知る。わたしの多様星占いでは、「この星座の人はMtFが多い、それも男好きなんだな」「えぇ!あたしは両性が好きなのかしら、そういえば…」とかわかる。星の運行と愛の行方は交差しているに違いない。これは実現したら占星術の革命となる(かもね)。

妄想の惑星旅行の果てにー

わたしは地球の成層圏まで降りて、日本の裁判所を空から傍聴した。そこでは、わたしたちがわたしたちになるのには性別転換の手術が必要かどうかが議論されていた。静岡家庭裁判所浜松支部では「戸籍上の性別変更に性転換手術を必要とするのは憲法違反」という判断を下した。性同一性障害特例法にある「性別変更ができる5つの要件」に含まれる手術要件は憲法違反、つまり戸籍上での性別変更にはいらないという判断である。2023年中に最高裁判所でも憲法判断が示されるという。

この訴えは、手術をすると子作りができない、健康上の理由で手術ができない、資金が乏しくリスクがあるのでしたくない、などの理由をもつトランスの人々がいるからだ。手術が必要だという普通の人々の主張は、公共浴場や温泉で、手術無しの人が反対性の場にいるのは気まずい、である。トイレの利用もおかしいし、反対性で運動大会出場もおかしいと言う。どちらももっともなので、答えは是々非々、ケースバイケースだと思う。温泉や浴場では「刺青お断り」と同じく、「反対の性器お断り」でいいし、トイレもそれに準じる。ただ手術なしでも性別の変更は認めてほしい。

むしろ戸籍には、LGBTQ問題を超えた窮屈さがあることを伝えたい。

戸籍とはなんぞや。「」単位で記載されている本人証明とでも言おうか。戸籍筆頭者とその妻子らが出生情報と共に記録されている。パスポート発給の申請や、婚姻届、遺言書の作成や年金受給時に必要となる。かつては市役所経由で申請したり、本籍地の役所に出向いたりと面倒であったが、マイナンバーでコンビニで取得できるようになってありがたい。そして、わたしたちはその制度を特段意識することもなく、日本に根付いている。そこであえて真っ向から問いかけたい。

戸籍ってなに?

その質問への答えは容易ではない。なぜならきちんとした定義が存在しないからだ。政治学者の遠藤正敬氏によれば、戸籍の特徴は①家族単位、②本籍、③続柄にあるという(*)。「家」単位で記載され、本籍という土地に縛られ、続柄で長男次男長女次女がある。「家」重視、家父長主義、血統主義がベースにある。個よりも集団への帰属を重視し、横並び主義に通じ、婚姻を家同士の枠にはめて、無数の嫁を泣かせ、長男が大事という子供間の不平等が至る所にある。かつては士族や非人などの身分や犯罪歴を記録し、だれもが閲覧ができた。庶子は庶子と書かれ、今も外国人は戸籍は作れない。性転換後の人は「元男性」「元女性」と書かれる。

戸籍という分類システムこそ、性別転換手術より大きな問題ではないだろうか。戸籍が人々にレッテルを貼り、区分し、あるいは排除することで、生きづらい人がたくさんいる。世界中、戸籍に似た制度を持つ国はない。自由主義社会で戸籍は必要と思えない。戦うべき場はここなのだ。

LGBTQになるということは、自分の感じる性や愛に素直に、正直に、まっすぐに生きることだ。自分の性に自由になれる場を求めて、そこで善い人になるために生まれ変わろうとする。その中で、トランスジェンダーは性差をまたごうとする存在だ。男でもなく女でもないわたし、中性かXか呼び名はともかく、またぎながら生きている。

その性の違いは神様がつくりたもうたものである。わたしたちは神様に歯向かっているのだろうか。

実は、イザナギもイザナミも、イエスも親鸞も、みな同じことを言っている。男と女はひとつになりなさいという神意である。地球上に男と女のいさかいが増えて、曲がった愛が増えてきた。だから男と女を融合させ、だれをも生きやすい世の中にしたい。その役目をになう者として、男でもない女でもないトランスジェンダーが「遣わされた」と思っている。その使命感ゆえに、疎外されても無視されても干されても、わたしは生きている。

*参考文献『戸籍と国籍の近現代史』遠藤正敬著 明石書店 

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