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ずるいと言わない

「ずるーい!」
大なり小なり不服を訴えるための使いやすい言葉と思っていた。あまり意識していなかった言葉。
でも、いつだったかツイッターで流れてきたツイートをみて考えを改めた。

そのツイートによると「ずるい」という言葉を安易に子供に言わせたくない。「ずるい」は、相手を妬む気持ちを表現した言葉である。相手が何か過失をしていない限り、正当な権利でさえ、「ずるい」と言ってしまえば、相手を悪く言うことが出来る。相手の状況を妬むような言葉を子供に使って欲しくない。そういった内容だった。

もう一つ、最近の風潮として“平等”を履き違えている人が多くなってきたのではないかと言っている個人の記事(連投ツイートだった気もする)をみた。

--機会は平等であるべき
--平等に評価すべき

そういった意識が肥大して、いつしか自分が不利を被ったり人が得をしていると、「あの人ばかりずるい。平等ではない。」と言ったことを主張するようになる。

--平等ってなんだっけ

分け隔てなく接する。機会を与える。

これは理想だ。
ガチガチに決めたルールの中で実現が出来るもの。
実際は感情によりブレる。不公平感は出て当たり前なのである。嫌なら自分が変えていくしかない。誰かを妬んで人のせいにするなら、自分が変えられる部分を変えていく方が建設的である。

他人を変えることに労力を費やすより、自分が変わった方が楽。

昔、養老孟司さんの講演会を聴きに行った際に仰っていたことは今でも私の中に残っている。

例えば奥さんといざこざがあっても私が変わるんです。その方が早いじゃない(笑)

そんなことを仰っていた。その茶目っ気のある様子が見ていて微笑ましく思ったことを覚えている。


最初の話に戻すと「ずるい」って日々使いがちだけれど、ちゃんと考えて使いたいなと。
どうしても冗談で言いがちな言葉も、教育を考えると意味を意識した方が良い。
例えば子どもの前だけは、なんて考えるけど、普段から使ってる言葉は不意をついて出てしまう。だからこそ、常々から意識していたい。

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