見出し画像

提灯に託された光

少し前、大叔父が亡くなった。祖父の一番下の弟で、親戚の中でも超がつくひょうきん者、一族きってのムードメーカー的な存在だった。引退してからも釣りに畑にと精力的に動きまわり、痴呆を患った大叔母のサポートをしながら、おおむね元気な様子だったのに…。

「○○ちゃんの死なしたばい!」と母から電話。聞けば、田んぼの様子を見に行き、足を滑らせて転倒。その際、打ち所が悪く首の頸椎を骨折して動けなくなり、わずか2cmの水たまりに顔が浸かった状態で発見された。司法解剖の結果、事件性はなく水死。発見がもっと早ければ…たらればは尽きないが、実にあっけなく、跡を濁さない最後であった。

お葬式に行けなかったので、せめてお線香をと大叔父宅を訪ねた。笑顔の遺影の横を見ると、真新しい提灯の箱が置いてある。てっきりお盆用に誰かが持ってきたのかな…と思っていたが、娘のEちゃん(…といっても私と年が近い。正式には大叔父の娘なので従叔母じゅうしゅくぼ※初めて知った)が「これね、お父さんが買っとらしたとよ」。

数日前、大叔父の自宅に電話がかかってきたそうだ。「○○提灯店ですが、注文された提灯の用意ができとりますんで、ご来店ください」とのこと。「え、誰か頼んだ?親戚かね?」とりあえず店を訪ねた。「わざわざご足労すみません。注文されたとは○○さん(大叔父)だったとですよ。電話かけてもでらっさんし、別のお客さんに話したら○○さん知っとるよ、と」。数週間前、お盆を前に長年使っていた提灯を取り出したところ、「ボロボロでこりゃいかんね…」とEちゃんと話していたそう。「亡くなられとったとは知らず、電話してしもうて…」と店主。「いやいやい、お手数おかけしました」と提灯を受け取り車に戻った。その瞬間、涙が止めどなく流れてきて、声を上げて一人号泣したそうだ。

「もぉさぁ、自分で自分の提灯を用意しとかんでもよかとにねぇ。何でも自分でせんと気が済まっさんというか、家族のためにうごく人やった。まさかこんなことになるとは、お父さんも思いもせんかったやろう…。ほんとに何が起こるかわからんばい。この先ずっと、お盆はこの提灯で迎えてやらんとね」。大叔父もこの灯りがあれば、寄り道せずに帰ってこられるだろう。

その夜は、地元の花火大会だった。人口数千人の小さな町の小さな花火大会。都会のそれのように混みあうこともなく、子どもの頃から見ていた場所から夜空を見上げる。どーんと打ち上がり、ぱーんと大輪の花が咲く。そして、はらはらと散り、すうっと水面に消えていく…。命と同じだ。煌めき、そして、鎮まる。大叔父の溢れんばかりの笑顔が花火と重なり、涙で滲んでは消え、滲んでは消え…頭では理解しているつもりでも、消えてなくなるのは、儚くて、切なくて、悲しい。大叔父がいるであろう、ずっと上のほうから、この花火は見えただろうか。見えたよね、きっと。

・・・じゅうちゃん、またね。じいちゃん、ばあちゃんと歌でもうたって待っててね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?