見出し画像

希望とは、未来とは【映画 ヤクザと家族】

綾野剛さん主演『ヤクザと家族』を観た。

移り変わる3つの時代の波の中で生きるヤクザたちのお話。タイトルの通り「家族」やいわゆる「ファミリー」を中心に描かれている。

鑑賞後の帰りの電車。いろんな想いがあふれるなか、言葉を練る前に、とにかく誰かに気持ちを伝えたくなる。「良かった。ほんとうに良かった」と、尊敬する芝居仲間のひとりにLINEした。


美談ではないということ

まず、これはヤクザ映画でありながらヤクザを正当化している映画ではない。義理と人情の美しさとか、親父を何より大切に想う気持ちとか、そういうのはもちろん感じるんだけど、「ね?ヤクザってカッコイイでしょ?」というメッセージではないのだ。

時代とともにヤクザというファミリーたちがどう変化していくかというヒューマンドラマだ。

1999年と2005年、そしてヤクザという存在が社会から徹底的に排除される2019年、この3つの時代で生きる人々の話。
この決して「俺らの世界、すげーんだよ!」とはなり得ないスタンスがまず好きだった。し、こんなアウトローな声なき声を拾えることに驚いた。

若者はいつでも希望の存在

2019年のパートから磯村勇斗さんが出てくる。前の2つの時代ではそれぞれ赤ちゃん、小学生だったツバサを成長した青年の姿で演じている。

この磯村勇斗のツバサの存在感に私は圧倒された。ヤクザが徹底的に排除される2019年、ツバサがいてくれて心の底から良かったと思えるほどの希望だった。
とにかく切なくて、やるせないような仕方ないと思ってしまうようなモヤモヤした気持ちの中で、みんなが昔は良かったと語る中で、ツバサを初めとする若者たちだけが今と未来を見つめることができる。

先週観た『花束みたいな恋をした』でも、この『ヤクザと家族』でもいつでも若者たちは光だ。

伝えたかった感情

この感想、この渦巻くグルグルとした感情を冒頭に登場した芝居仲間に伝えたかったんだけれど、伝えそびれてしまった。
このままだとグルグルが大きな台風になってしまいそうだったから文字として昇華させる。

もっとうまく言葉にできたらなあ。
なんて、そんなことをボヤきながら今日もnoteを書きました。

header photo ましゅーさん

いただいたサポートはクリエイターの労働環境向上のための活動費に使わせていただきます💐