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はじめまして、こっとんです。あっ、わたひきです。

自己紹介noteリレーの流れを見ていたらついつい自分もやりたくなってしまったので初めてnoteをしたためてみた。

以前こんな話を聞いたことがある。
日本の学校では歴史は古い時代から学ぶ。自分にあまり馴染みのない時代から勉強しなければいけないのでなかなか興味が向かない。
一方で、海外では全く逆だ。今を起点に過去にさかのぼりながら歴史を学ぶので自分の近しいところから勉強ができ興味がわきやすい。

ということで、今を起点に自己紹介をし、なぜそうなったのかを過去にさかのぼりながら伝えられればなーと。ちょっとでも興味を持っていただけたら嬉しい。

子どもたちへ自分の経験の還元

これは今の仕事をするに至った自分の想いだ。

今は大学で入試や学生募集の仕事をしている。
転職は2回しているのでこれが3つ目の職場だ。
素材メーカー→広告代理店(学校向け)→学校職員という一見畑違いの仕事を転々としているが、一応自分なりのストーリーがある。

「世の中に影響を与える仕事がしたい→子どもたちに影響を与える仕事がしたい→子どもたちに直接関わり影響を与える仕事がしたい」
こんな志向の変化で転職を続けてきた。自分のやりたいことが少しずつシャープになっていっているイメージ。

自分の想いがシャープになっていった原体験がある。

僕はいわゆる「優等生」の道を歩んできた。中学校では常にテストで学年1位、高校は地元の進学校、浪人を経て大学は国立大学、卒業後は大企業へ就職。

ただ、今振り返るとそこには自分の明確な意志があるわけではなかった。親や周囲の期待に応えなければ、いい学校いい会社に入っておけばひとまず安泰という具合に。

社会に出てみると学生時代とは比べ物にならないくらいたくさんの出会いがあり、多様な生き方や仕事があることに気づかされた。

「自分はなんて狭い視野で学生時代を過ごしてきたのだろう」
もちろん充実した学生生活を過ごしてきてはいたが、やっぱりこの想いは拭えなかった。

ふと、今の学生たちを見ると多くの学生が過去の自分と同じような価値観で人生を歩んでいる。これはもったいない。自分の二の舞にならないように自分の経験を還元させたい。この想いがどんどん明確になっていき、それに合わせて仕事を変えていった結果が今の僕だ。

「子どもたちに直接関わり影響を与える仕事がしたい」

もしかしたら3年後5年後は変わっているかもしれない。ただ、間違いなく今はこの想いを軸として仕事をしている。

安全安心の場に対する渇望

僕の安全安心の場への想いは人一倍強い。
だからこそ自分が関わるコミュニティにおいては「当事者全員にとって安全安心の場になっているだろうか?」と気になってしまう。

これも原体験がある。二つ目の会社の時代だ。
自由闊達な雰囲気で今でも大好きな会社だ。
ただ絶望を味わったのもこの会社だった。

その当時配属となったのはヒエラルキーががちっと決まっているピラミッド型の組織だった。
上司が右といえば右、左といえば左。
そんな圧迫型マネジメントが肌に合わず、上司とそりが合わなかった。
大衆の面前での叱責は日常茶飯事。自分の言動を1ミリも信じていないという態度。
一挙手一投足が否定される毎日。上を見ても横を見ても助けを求められる仲間はいない。

自分は強い人間だと思っていた。1週間1日1時間睡眠でも仕事をできていたし、ずっと体育会で過ごしてきたし自信があった。
ただ、体は強かったかもしれないが心はそこまで強くなかった。

気がつくと、生まれて初めて消えていなくなってしまいたいと自然と思うようになっていた。
顧客に価値を返さなければいけないのに、いつの間にかどう1日を平穏に過ごすかということに意識が向くようになってしまった。
この当時は、寝ても5時ごろに目が覚めてしまったり、味覚が鈍くなっていたりしていた。
今思えばもう限界に近かったのかもしれない。

幸運なことにこのタイミングで次の仕事の縁があり、逃げる形で絶望の環境から脱することができた。

世の中には「事実」と「解釈」しかない。
この「事実」である原体験を安全安心の場の重要性を身をもって感じることができた経験として「解釈」をすることでこれからの人生に活かしていきたい。
だから僕は安全安心の場づくりにこだわる。自分の経験を無駄にしないためにも。


いかがだったでしょうか?
実は自分をさらけ出すのすごく苦手です。
どう伝わるかな??

こんな僕ですがよろしくお願いします!


#自己紹介noteリレー
#箕輪編集室
#西野亮廣のエンタメ研究所

いつもありがとうございます!