リビング~安心してチューニングする場所~
京王線沿線の、のんびりとしたエリアに住んでる。
主要エリアへの交通の便がよいとか、商店街が楽しくて便利とか、素敵な建物や素敵なお庭が多くてお散歩が楽しいとか、住人の年齢層がちょっと高めで町が落ち着いてるとか、自由な人が多いとか、人との距離感が心地よいとか、住宅街の中に紛れこんでる素敵なお店が多いとか、自転車移動が楽しいとか。
沿線エリアが好きな要素はいくつかあるけど、
沿線6駅115店参加希望のイベントでいきなり駅名が飛ばされてるくらいのんびりしてる最寄り駅を、とても気に入っている。
なぜなら、リビングがあるから。
穏やかな、各々が自分のペースで自分らしく寛げるリビング(=お店)。
ずっと、心から落ち着ける、安心して寛げる場所。
わたしに戻れる、わたしのままでいられる場所。
実家でも、現在住んでいる部屋でも、それらを叶えてくれるリビングを持ってなかったことに、つい最近気づいた。
年に数回帰る実家の家族も、年に数回集まる親族も、みんなそれなりに元気。
老若男女、さまざまな個性の友だちがいて、ともに学ぶ仲間もいて、笑顔で迎えてくれる場所もある。
なのに、常になんとなく落ち着けなくて、ずっと落ち着ける場所を探してた。
なかなか一致しない思っていること・感じていること(心)と考えていること(頭)のバランスを取るために、チューニングしたかった。
摩擦をどうにかしたくて、チューニングに集中する時間を、無意識的に求めてた。
けど、安心して身を置ける場所や、誰かの言葉や歌、誰かの想いで、わたしがふとわたしに囚われていることに気づけることがある。
わたしが大好きなリビングには、わたしが信じている世界以外の世界を持っていてる人たちや、迷いながらも自分の足で立って自身を生きる人たちが、多く寛いでいる。
そんな色んな価値観、世界観の人と話しているうちに、摩擦をつく出してる自分が奥の方にいるのが見えてくる。
いかんいかん、中心にもどろう。
思考や反応はもう長年のクセで、一回戻しても、ある日ふと気づくとずれてる。
だから、少しずつ少しずつ、薄皮を剥ぐように、出てきたいつものクセを脱ぐようにチューニングする。
すぐには別人になれないから、必要なタイミングでチューニングしたい。
だから、落ち着いて安心できる場所が必要なんだと思った。
いつでも安心してわたしに戻れる場所。
それがわたしにとってほしかったリビングだったみたいだ。
落ち着いてリビングで過ごせなくなった今、早く安心してみんなが過ごせるようになるとよいな。
早くみんなが安心して、幸せに笑えるようになりますように。
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