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見ている方向

答えに自信がないと、クライアントの目が大きく左右に泳いだ。
けっこう頻繁なので、いちど気になると、たしかに気になる。

採用の判定に関わるレベルかというとボーダーと感じたけど、気になる面接官はいるという結果も、すでに受けていた企業から出ていた。
(一方で、人柄やポテンシャルを見込まれて、別企業からの内定もある。)
見ている方向も、また相手が見ている方向について感じることも、人それぞれちがうんだな、と改めて思った。

フィードバックをしている最中に、ふと私は無意識にどこを見ているだろう?と思った。
ちょっと確認してみたら、思考しているときは上方向、内省しているときは下方向だった。全体的には上が多いかな。

よく「上を見ている」と言われる。
自分のことは、自分より他の人の方が知っていたりして、私が建物に入ると上ばかり見ているということは、友人たちから聞いて自覚した。
梁が好きだな、となんとなく思っていたけど、そんなに見ていたなんてはじめて知った。
(私が芋好きだということも、友人たちの方が先に気づいていた。)

ひさしぶりに写真を整理した。
緑や水の自然と、美味しいもの。建物。イベント。あいかわらずジャンルが偏ってる。
人の写真は、イベント以外は、少ない。いっしょにいることに満足で、相手と自分をカメラの向こうとこちらにわけたくないからかもしれない。

角度を意識して写真を見てみると、やっぱり天井と梁が多かった。
天井のライトも多い。(天井や梁とのコントラストが気に入ったものが多い中、何の変哲もない天井とライトもあったりする。。)

同じくらいに多かったのが、窓のある風景だった。
窓をメインとしたもの。窓から外の光景を見たもの。それぞれ。
窓のある風景が多いことには、はじめて気づいた。

これはどこを見ていることになるのだろう?
「1枚隔てた向こうを見ている」のかな。
向こう=本質。未来。全体。その他もある気がする。
そのときどきに、どれかを見ているのかな。

見ている方向も、見たい方向も、きっとそのときどきでちがう。
それらは自分のことのはずなのに、願望や痛みがフィルターをかけて、真実や今いる位置がわからなくなってることも、まあまあある。
おとなになったからって、自動的に客観視できるものではないんだなあ。

身近な人の声や写真などのツールが、自分の視点を教えてくれる。真実や今いる位置を知る手助けをしてくれる。
なんてありがたいシステムなんだろう。
教えてくれることを素直に受け取りたいな、って思う。

そして、まわりの人たちが、自分の見ている方向を必要なときに確認できるように。
そっとサポートしていきたいな、と思っている。
(口は悪いけど、心はそっと、のつもり。)

すべての人が、才能をいかして、心豊かに、楽しく自分を生きられますように-。

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