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楽器の練習と楽器道楽の狭間で

最近久しぶりにトランペットを練習している。
私は、年に三回ぐらい急に思い立って楽器の練習を始めたりするのだが、大抵は1月も続かない。それではいけないと思い、楽器の手入れも兼ねて楽器を引っ張り出してきて練習するようにはしているのだが、それでもなかなか上達しない。

先日書いた通り、最近はKingのDizzy Gillespieモデルで練習しているのだが、楽器の方は十分気分が出る代物なのだが、自分の方はなかなか楽器に追い付いていない。Dizzy GillespieといえばBe Bopの黄金時代を築いた名手で、ハイノートはもちろん、超絶技巧フレーズをどんどん繰り出し、高速テンポで難曲のソロを吹きまくるのだが、当然私はそういうことができるわけでもないので、楽譜と格闘しながら比較的ゆっくりなテンポの曲を間違えながら吹いている。

これは、ギターも一緒で、所有しているギターはそれほど高価ではなくても、プロがステージで使えるぐらいの高いクオリティーの楽器を持っているのだが私自身はそのポテンシャルをほとんど発揮できていない。特に、ギターはもうかれこれ30年近く「所有」しているのだが、腕前の方はなかなか上達しない。

当たり前だろう。練習が足りないのだ。

楽器の練習はただ長々とやればいいわけではなく、効果的な練習を集中して行わなければならない。それも、機械的にではなく音楽的に。昨年会社を辞めて、しばらくはぶらぶらしていたのでその隙にと思いギターやトランペット、スチールギターを引っ張り出してきてせっせと練習していたのだけれど、なかなか練習するべき課題・練習メニューをクリアにすることができなく一向に上達しなかった。

仕方がないので、教則本の類(私は教則本を何冊も持っている)を引っ張り出してきて練習曲・練習フレーズなんかを弾いてみたのだが、すぐに壁にぶち当たってしまい、その壁を越えるまで練習すればいいものを、そこで放り投げてしまい、結局ほとんど上達しなかった。

それではいけないと思い、初めから難しいフレーズをやろうとするからいけないのだと自分を戒め、もう少し簡単なものを練習したのだが、それではなんとなく面白くなく、それでも長続きしない。

これはいけないと思い、教則本を変えたりしているうちに、また迷子になってしまった。

楽器の練習というのは結局「何を課題にするか」が一番重要なのだ。簡単なフレーズを練習するにしても、それをいかに音楽的に完成されたもの(聴くに耐えうるもの)にしていくかが重要なのだから、それを課題にしても良いし。はたまた難しいフレーズをスラスラと演奏できるようになることを目標にしてもいい。

結局私は自分の課題を明確にしていないからいつまでも効果的で実用的な練習を集中して出来ていないのであって、課題が明確であればあとはそれをコツコツと続ければ良いのである。

楽器を弾き始めて30年以上経って、今更そんなことに気がつくというのも何か遅れているのだけれど、良い楽器を揃えてやる気が出たところで、その楽器で奏でたい音楽とそこに至るまでの自分の課題をはっきりさせなければ楽器の持ち腐れになってしまう。

しかしこれが、シンプルなことにように聞こえるが、なかなか実行は難しい。一番の近道は人に習うことであると思う。人に習えば、客観的に課題を見つけてくれるかもしれないし、人に自分の演奏を聴かせることで自分自身が気づくかもしれない。

なので、自分で課題を見つけるのに難儀している方は、レッスンを受けてみることをおすすめするのだが、レッスンも惰性でいくようになってしまったら意味がないので、レッスンを受ける側もレッスンをする側もそこのところいつも気にかけて行わなければならない。

かくいう私は、人にものを習うというのが苦手である。人に教えてもらうと、先生のペースにある程度合わせて自分も習得していかなければならない。音大生とか、上級者とかであればそういう「試練」にも耐えられるのかもしれないが、私のように趣味・道楽で楽器を演奏しているものにとってその「試練」は過酷すぎる。

これが仕事とかであれば、仕方なく自分の弱点や足りていないことを痛感しながら改善していけるのだが、道楽というのはそういうのがないから道楽なのであり、そこまで辛い思いをしてまで道楽を極めるということはなかなか出来ない。

まあ、私が上手くても下手でも、世界がひっくり返るわけではないので、どうでも良いことなのだが。
少なくとも、人と一緒に合奏できるぐらいの腕前にはなりたいものだ。

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