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桜の季節になると吉田拓郎を聴きたくなる。

今から二十数年前の3月の末ごろ、私は進学のために札幌から上京し国立の駅に降りた。スーツケース一つと、何故かヴァイオリンを背負って満開の桜の中を歩き新しく借りたアパートに向かった。

それまでに何度か国立の街にはきたことはあったけれど、桜の咲く国立を歩いたのはそれが初めてだった。

前年に東京の大学に進学し高幡不動に住んでいた友人が引っ越しの手伝いをしてくれるというので、車を出してくれてちゃぶ台やパソコンデスク等の家財道具を立川および八王子で購入し、初めてサイゼリヤに入り昼食を食べた。

部屋に帰ってきて、デスクやラックを組み立てたら、実家から送った荷物が届いた。荷物の中には200枚ぐらいのCDとCDプレーヤー、サンスイのプリメインアンプ、それと着替えが入っていた。

友人が、「お前、これじゃあ音楽が聞けねえべ」という。
私はアンプにヘッドホンでもつけて音楽を聴こうかとも思っていたが、確かにこれでは音楽をかけることができない。

私と友人は駅前にあったオーディオユニオンに向かい、迷った末にタンノイのマーキュリーという小型のブックシェルフスピーカーを購入した。スピーカーケーブルは店の人におまけしてもらった。

早速、それを部屋に持って帰り、CDをかけた。友人が車でかけるために持ってきていた吉田拓郎のベスト盤をかけて聴いた。じっくりと聴いた。吉田拓郎を聴いていたら、これから東京で一人暮らしが始まるという実感が湧いてきた。

近くの酒屋へ行き、コカコーラとジャックダニエルを買ってきて一緒に飲んだ。吉田拓郎を聴きながら飲んだ。

その時は、手元にギターがなかったので、ただただCDを聴いた。持ってきていたヴァイオリンは弾き方を知らなかったし、そのほかに楽器らしいものは何も持っていなかった。

次の週末だったか、その次の週だったか、友人は私を御茶ノ水の街に連れて行ってくれた。東京に御茶ノ水という楽器街があることを私は初めて知った。

その日、私たちは何度も御茶ノ水の坂を登ったり降ったりして、今はなくなってしまった雑居ビルの2階に入っていた中古楽器屋でアームがついたアリアのフルアコを四万円ぐらいで購入した。予算的にフェンダーやギブソンは買えなかったし、それ以外に私の経済力で買える楽器の中ではピンとくる楽器がなかった。

その楽器は今は実家の姉の部屋にあると思うけれど、学生時代にはずっと使っていた。吉田拓郎のCDやらレコードをかけてはそのギターをかき鳴らし、歌った。

御茶ノ水という夢のような町があることが俄には信じられなかった。
まるで狐につままれたような気持ちで、数週間後にまたその街を訪れた。やはりそこには楽器街があった。どこまでも続く楽器街があった。

思えば、あのアリアのギターを買った日に初めて御茶ノ水に降り立ったとき、私は楽器屋への第一歩を踏み出したのかもしれないと思っている。楽器屋という稼業はあまりお金には縁がないけれど、いつでもあの頃のような新鮮でウキウキした気持ちに戻ることができる。

桜の季節になると、吉田拓郎と、アリアのギターと、御茶ノ水との出会いを思い出す。

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