見出し画像

イラン

(27番)  1990年  4月
イランへ行ってきました。目的は観光はもちろん、友人に会うためです。
参加者は25名でした。

4月26日
14:55 発 成田  イラン航空 (機内食にキャビアが出た)
18:25 着 北京  女性はここで体と頭を隠すためのコートとスカーフを着用
23:50 着 イランの首都であるテヘラン

「イラン」という国名はアーリア人の国という意味です。
ササン朝時代までは拝火教(ゾロアスター教)でしたが、1501年にサファビー朝が成立してからイスラム教シーア派を国教としました。スンニ派は一日5回お祈りをするのに対して、シーア派は3回です。
イランは1979年にホメイニ師によるイラン革命が起き、それまでの王政が廃止されました。世界有数の石油の産出地で1リットル1円以下です。
人口は約5300万人です。民族はペルシャ人で言葉もペルシャ語です。

4月27日
テヘランは標高1200mの地点にあり、ホテルの部屋からはアルボルズ山脈が見えます。
朝、ホテルの外へ出て壁を見ると「Down with USA」と縦に大きく書いてあって本当にアメリカは嫌われているんだなあ・・・

高原の避暑地であるハマダン(イラン最古の都市のひとつ)へ。

ガンジナメー
アケメネス朝の磨崖碑(楔文字で書かれており、左側はダリウス大王BC522~486で、右側はクセルクセス大王BC486~465による碑文)

ガンジナメー(左よりバビロニア語、エラム語、古代ペルシャ語)

イブン・シーナの廟
11世紀の哲学者、医者、科学者

イブン・シーナ

石のライオン
ハマダンの街のライオンゲートにあったもので、元々は一対のライオンであったが、現在は片方のみが残っている。

4月28日
終日、ケルマンシャー(イラン西部にありテヘランから525km)の観光

ビストゥーン
ダリウス大王が自らの即位の経緯とその正当性を主張する文章の磨崖碑。
高さ3m、幅5.5m

ビストゥーン

ターク・イ・ブスタン
ササン朝(3世紀から7世紀)時代の石窟で巨大なレリーフが残っている。
その中の一つのものはシャープール3世が神々から王権を授与される様子が描かれている。高さ9m、幅8m

ターク・イ・ブスタン

どこへ行っても人がたくさん寄ってきて、あたかも自分は動物園の檻の中にいる動物のような感じ。後記:表現がおかしいが、その時に感じたままです。

「おしん、おしん」と言いながらバスまで追いかけてきました。
赤ん坊を抱いたお母さんは「この子の名前はおしんていうのよ」と。
私は一度も「おしん」を見たことがなくて、何故そんなに人気があるのか知るためにも是非とも見てみたいものです。

バスまで追いかけて来た人々

4月29日
オアシスの街カシャーンへ。

途中のアラクの街の果物屋さん

グレープフルーツが美味

フィン・ガーデン (後記: 2011年に世界遺産に登録)
ペルシャ式庭園でサファビー朝以前からあったとされています。
面積は2.3ヘクタール。
土獏の中のオアシス的な存在で、中庭の水と緑が癒されます。
建物の内側に施されたモザイクとタイルはとても綺麗です。
何故か白い雨が降ってきて写真は撮れず。
多分、空気中の土埃が雨と一緒に降ってきたのでしょう。

テペン・シャート
BC5世紀頃イラン高原に初めて人が住み始めたところです。

テペン・シャート

4月30日
イスファハン(テヘランの南340km)へ。
古くから政治、交通、文化の拠点とされて、16世紀末のサファビー朝の首都がおかれた所です。当時の繁栄ぶりとしてイスファハンは世界の半分と称されたほどです。

ジャーメ(金曜)モスク(後記: 2012年に世界遺産に登録)
771年に建築されたイスファハンでは最も古いモスク。

ヴァーンク教会(アルメニア教会)
1605年の創建。
内部には「最後の審判」などの描写図が閲覧できるようになっています。
敷地内の博物館には世界一小さい聖書が展示されています。

シェイキング ミナレット
聖人アムー・アブドゥッラーの廟です。
片方のミナーレ(塔)を揺らすと反対側の塔も揺れだすことで有名です。
こんな事、誰が発見したのだろうか。

シェイキング・ミナレット

ゾロアスター教神殿跡
丘の上にあるので歩いて上ること30分。
小さな神殿が残っていました。

ゾロアスター教寺院

5月1日
引き続き、イスファハン市内の観光

イマーム広場
1979年に世界遺産に登録されました。
ペルシャ発祥のポロの試合も行われていたことがあります。

イマーム・モスク
広場に面しているランドマーク的な存在。
アッバース1世の命により28年の歳月をかけて建築されました。

イマーム・モスク内部

アリ・カプ宮殿
16世紀の終わりごろ、シャーアッバース1世の住居として建てられました。
52の部屋と音楽堂があって、その音響効果は素晴らしいものがあります。

アリ・カプ宮殿

シェイクル フォーラー モスク(世界遺産)
1601年から17年の年月をかけてアッバース1世の命により建築された王族専用のモスクです。

シェイクル・フォラー モスク

チェヘル・ソトゥーン宮殿(40柱宮殿)世界遺産
1657年に建築され、20本の柱で支えられており、それが庭の泉に映りこんで錯覚をすることから40柱宮殿と呼ばれます。

14:50 発 イスファハン
15:45 着 シラーズ

5月2日
午前中はシラーズ郊外の観光へ。
本日はイランでは「先生の日」だそうです。

ペルセポリス(世界遺産)
ここはBC6世紀からBC4世紀にかけて繁栄したアケメネス朝ペルシャ帝国の都だったところです。しかし、BC331年にマケドニア国のアレキサンダー大王によって破壊されて、廃墟となりました。

ここが一番楽しみにしていた場所で、その広さと数々の遺構には目を見張りました。
ここでも人々からすぐに囲まれてしまい、輪の中心にいることがしばしば。
それで、毎回毎回抜け出すのに苦労しました。
日本人的な顔立ちの人に興味があるようで、日本人なのにナターシャと呼んでいたエキゾチックな顔立ちをした女性は「あっち行け」と言われたそうです。ま、冗談でしょうが。

ナクシェ・ロスタム
アケメネス朝の王の廟で、大きな一つ岩の岩前に4つの墓が彫られています。高い場所に入口があるので、そこまで行くには梯子がないと無理です。

左より アルタクセルクセス1世、クセルクセス、ダリウス大王、ダリウス2世


見学の子供たち(先生達がこの子達の将来のために是非と言われ、この後一緒に写真に入った)


クセルクセスの門


アパタナ階段(ライオンと一角獣)
メディア人の謁見の様子
百柱の間
柱の上にあった牛の頭
怪しい人物だが大きさが分かると思います


午後はシラーズの市内観光

サーディの廟
サーディ(1210~1291)は世界を30年間も放浪した抒情詩人です。

ハーフェズの廟
ハーフェズ‘(1325~1389)も抒情詩人ですが、生涯のほとんどをシラーズで暮らしました。

エラム庭園(後記: 2011年に世界遺産に登録)
ペルシャ式庭園でその中にあるバラ園が有名です。イランはバラの原産地の一つです。

エラム庭園

ファルス博物館

ファルス博物館

バキル・バザール
11世紀に建てられ、全長800mで70のアーケードで構成されています。ペルシャ絨毯、銅の工芸品、スパイス、お菓子などが売られています。

5月3日
シラーズ郊外の観光へ。

ヤギが道路を横切る様子

ビシャプール遺跡 (後記: 2018年 世界遺産に登録)
シラーズの西方約120キロにある古代都市遺跡です。
3世紀にササン朝のシャープール1世によって建設されました。

ビシャプール遺跡

5月4日
ヤズドへ向かいます。

ヤズドへ向かう途中
ルート砂漠

パサルダガエ(後記:2004年世界遺産に登録)
ここはルート砂漠を通ってヤズドへ向かう途中にあります。
「カナート」のこんもりした穴が時々見られます。これが小学校で習った「カナート」か。穴から覗くと下には涼しげな水が流れていました。

BC546年にアケメネス朝のキュロス2世(BC559~530)によって建設されました。
ペルシャ帝国の最初の首都で標高1900mにあり、周りは大平原です。

キュロス大王の廟
30年前の大洪水で溝ができてしまった

5月5日
午前はヤズドの市内観光

ジャーメ(金曜)モスク
イランで最も高いミナレット25mがあります。

ゾロアスター教寺院
中には1500年燃え続けている火がありました。
延暦寺の不滅の法灯は1200年です。

1500年も燃え続ける火

沈黙の塔(鳥葬する場所)
大小二つあって大きい方に上りました。
頂上に行くと丸くなった場所は真ん中がへこんでいて、そこに遺体を置き、鳥などに処理を任せたのです。現在、鳥葬は禁止されています。

ここに遺体を置いた
死体の真似をする忍者ハットリくんとセイコさん

その後、ケルマンへ。
到着後、市内観光

ハマーム博物館
床下でお湯を流して床を温める方法などが展示されていました。

バザール見学
ここの見学中に問題が発生。男性たちが我々日本人の体を触ってくるのです。
キャーキャーと悲鳴が聞こえてきたので、何事かと思いました。
私は被害にあわなかったのだけど、ガイドさんが言うには「イスラム教徒は他の宗教を信じる人には何をしてもいい」と。
にわかには信じられない話ですが、とうとう警察に通報したようで、二人の警官がバスに乗り込みホテルまで護衛をしてくれました。
ここまで来ると異常だな・・・

護衛してくれた警官とドライバーのモハメッド

5月6日
午前中はルート砂漠を東にバムの遺跡へ向かいます。

バム(後記: 2004年に世界遺産に登録-危機にさらされている世界遺産)
2003年のバム地震で大きな損傷を受けました。
テヘランから南東1100キロに位置する要塞都市でその歴史はアケメネス朝まで遡ります。
7世紀から11世紀にかけて東西貿易の重要な交易路として全盛期を迎えました。そこでの生活は地下の灌漑施設である「カナート」によって支えられていました。
北側にあるアルゲ・バム(お城)を含めて建物は日干し煉瓦で建築されています。
150年前に人々は他の地に移り住み、今は誰も住んでいません。
キリストも滞在していたことがあるとか。え?本当?

砂漠の死の街 バムの入口
馬小屋
パーティ会場の建物
街の様子

お城から見た街の様子
アルゲ・バム (お城)

その後、ケルマンへ戻り夕方の便でテヘランへ。

16:00 発 ケルマン
17:20 着 テヘラン

5月7日
朝、ロビーまでエレベーターで降りようとしたところ、途中で止まってしまい、5分間も閉じ込められてしまいました。こんな経験初めてです。慌てても仕方がないので、一人でじっとしていたら動き始めたのでホットしました。

日程表ではイスラム教徒シーア派の聖地マシャドへ日帰り観光でしたが、私はテヘラン市内に住んでいる友人に会いに行きました。

ホテルには中国人達がたくさん宿泊しており、友人を待っている間一人だったので、話しかけられましたが、当然言葉は通じません。

友人と知り合ったのは1973年の米国です。
ホテルまでご主人と一緒に迎えに来てくれて彼らの住むマンションへ。
部屋に一歩入るや否や彼女は着用していたチャドルをパッと脱ぎ捨てました。
ひえ~ビックリ!何と真っ赤なタンクトップにベージュのショートパンツ姿でした。家族には隠さなくてもいいらしい。知らなかった・・・

素敵なペルシャ絨毯

そこで、二人のお子さんとお姉さんも紹介されました。
お姉さんはイラン・イラク戦争の時に息子さんを亡くし、声が出なくなっていました。辛すぎますね・・・

友人は民族衣装に着替えて音楽に合わせて踊ってくれました。
もちろん、イラン料理もたくさん用意してくれていました。
こんなに歓待を受けたのは久しぶりでとても嬉しかったです。

ペルシャ料理 美味しかった

色々と話しているうちに、ご主人が「この国はイラン革命の後、100年も歴史が遡ってしまった」とこぼしました。
そうすると友人が「いいえ、あなた、1万年よ!!!」と。ほとんど叫んでいました。
テヘランの革命以前は「中東のパリ」と言われていたし、女性もチャドルなど着用しなくてもよかったし、彼女の気持ちもよく理解できます。
アメリカに住んでいた時はあんなに自由だったのだから。

夕方にはお仕事帰りでお姉さんのご主人と弟さんもジョインされました。
友人のご主人はこの日休暇を取ってくれたようで、申し訳なかったです。

後記:今はお互いに引越しをして連絡がつかなくなってしまい、残念で仕方がありません。

夜ホテルの部屋へ戻ると相部屋の人が浮かない顔をしていました。
何と、マシャドへは飛行機が飛ばずに行けなかったのだとか。ありゃまあ・・・

5月8日
終日、テヘラン市内観光

ガラス博物館
建物自体が元エジプト大使館として建てられているので内装が綺麗です。
古い陶磁器やガラス製品などが展示されていて、イスラム陶器のラスター彩もありました。

カーペット博物館
イラン最後のパーレビ王朝のソフィア王妃がイラン各地からアンティークのカーペットを収集して建てられました。精工な作りと絵柄模様は名品ばかりです。

ホテルのロビーで「ピー ピー」という笛の警告のような音が鳴り響きました。添乗員さんの前髪が垂れてきていて、スカーフで隠れていなかったのが原因でした。ゲッ、厳しいなあ・・・ツーリスト ポリスでした。

5月9日
夕方の出発までテヘラン市内観光

考古学博物館
主にペルセポリスの遺跡を中心としてイラン各地から集められた出土品が展示されています。

レザー・シャーの宮殿
レザー・シャー(1925~1941)はパフラビー朝イランの初代皇帝です。

18:30 発 テヘラン  イラン航空

5月10日
12:15 着 成田

今回はイランの長い歴史に触れることができて満足です。
マシャドなどまだまだ見どころがたくさんあるので、再度訪問したいです。
もちろん、友人と十数年ぶりに会えたことはかけがえのない想い出となりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?