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南インド

(62番)  2019年   9月
 
又してもインドです。今年は7月、8月と9月で3回目、通算10回目の訪問となります。
方面は南インドで、実はこのコースは他社で3年前に行った事があるので2回目です。
前回はカタカリ・ダンスを見る機会がなく、どうしても見てみたくて、これだけの為に行ってきました。
C社のこのコースに行った事のある人が何名かいて、口々に「よくなかった」と。
特にガイドの質が悪く、最初の頃に行った旅友は日本語が何を言っているか分からなかったとか。
なのに、C社の発表では「ツアーグランプリ2018国土交通大臣賞受賞」と堂々と出ており、その温度差は一体何なんだろうと疑問に思ったというのも行ってみたくなった理由です。
 
1日目 9月11日 (水) 37度
成田からデリー (8時間) 乗り換えで、チェンナイ (2時間50分) へ。
インドとの時差が3時間半あるので、チェンナイ到着時は日本時間の朝4時という事になり、久しぶりに疲れが出た。考えたら、前日の朝起きたのが4時頃で、24時間ほとんど寝てないことになり、「旅も辛いよ・・・」
自分の本当の父だと思っている渥美清さんの言葉をもじった。

旅もつらいよ・・・

2日目 9月12日
カンチープラムへ (バスで約2時間)
10世紀頃、インド全体で仏教が栄えた頃には、たくさんの仏教寺院があった。
達磨大師が生まれた所として仏典にも記されている。
ああ、だから達磨大師は顔が濃いのか・・・
3~8世紀に南インドの東海岸で栄えたパッラヴァ朝の首都でもあった。
 
エーカンバラナタール寺院
カンチープラムでも最大の寺院で、高さ60mの巨大な白いゴープラム
(塔門)が目を引く。白い色はヒンドゥー教では神聖な色。
敷地内には樹齢3,500年と言われるマンゴーの木があり、同時に5種類の実をつけるとか。
ここで、シヴァ神とパールバティが結婚式を挙げたと伝わる。
 
カイラサナータル寺院
8世紀初頭のパッラヴァ朝時代に建造された。
南インドのヒンドゥー建築の典型で、シヴァ神の住まいであるヒマラヤのカイラス山(K2)を模した重層ピラミッド型の本殿、そして多数の柱をもつ前殿からなる主建築を、小さな祠をもつ寺壁が囲み、正面に低い楼門が建つという構造になっている。
 
マハバリープラムへ (バスで約1時間半)
海岸寺院
8世紀初頭に建立された、南インドで最初の石造寺院。
1984年世界遺産登録。
石を積み上げて造るのは、当時としては高度な技術であった。
当初、7つあった寺院は、1300年近く波や風による浸食を受けて、現存するのは1つのみ。その対策のため海側に防風林が植えられている。

海岸寺院

アルジュナの苦行
7世紀に掘られた長さ27m、縦9mの巨大岩彫レリーフ。
パンチャパーンダパ・マンダパ窟と繋がっており石造寺院の端に描かれている。
インド最大の叙事詩である「マハーバーラタ」の中の「アルジュナの苦行」を描いたと言われている。
パーンドゥ家の王子アルジュナはシヴァ神の加護を得るべく神々や動物たちに取り巻かれながら、一本足で立ちつづける苦行をしているというもの。
 
クリシュナのバターボール
世界遺産で、一枚の大きな岩の上にある今にも転がり落ちそうな直径約10mの巨大な岩。
バターボールをナイフで切ったような形の岩でインドの神様、クリシュナが子供の頃にバターボールが大好物だった事に由来してこのように呼ばれるようになった。

クリシュナのバターボール

3日目 9月13日
国内線 (約1時間) にてマドゥライへ。
ここは古代から中世のドラヴィダ文化の中心地だった古都。
 
ミナークシー寺院
ここは前回来た時に、あまりにも素晴らしくて圧倒された場所で「大した、たまげた!」と記録をしている。
東西南北に建っている塔門(ゴープラム)は何度見ても目を見張る。一番高いものは60メートル。3,300体のヒンドゥー教の神々が並んでいる姿は圧巻。
13世紀から19世紀にかけて歴代の王たちによって建て継がれてきた。

ヒンドゥー教では6万人の神様がいて、シヴァ神だけでも1,008人もいる。インドの神様は化身をするのでその数が多い。
シヴァ神と妃のミナークシー女神(パールヴァティ)を祀っている。
中に入ると信者たちがずらっと列をなして、本殿にある神様に近づく順番を常時1万人もの人々が待っている。24時間開いている。
前回は庭に象がいて信者たちからお布施を貰い、頭を撫でてあげていたが、あいにくの雨でいなかった。

ミナークシー寺院

ティルマライ・ナーヤカ宮殿
寺院など数多くの建造物を残したティルマライ・ナーヤカ王によって1636年に建てられた。
ドラビディアン様式とイスラム様式を混ぜたような建築様式が特徴で、何本も並ぶ白い柱や天井の美しい彫刻は素晴らしいの一言。
バスコ・ダ・ガマも立ち寄ったことがある。
 
4日目 9月14日
ガンジー記念博物館
ここは前回来た時にとても勉強になった場所。
暗殺された時にガンジー自身が身につけていた血染めの衣服が残されている。
ガンジーが行ってきた運動の軌跡だけではなく、インドの歴史や植民地時代の背景、それからの独立運動のことなど多様なことを知ることができる。
お気づきの方もおられると思うが、ガンジー博物館とか記念館とかは
インドでは、あちこちにある。
 
因みにインディラ・ガンジーはマハトマ・ガンジーの娘ではない。ネルー首相の娘である。7月の時のガイドさんが「日本人はそう思っている」と
この事を嘆いていたが、日本人の事を十把一絡げにしてあまりにも馬鹿にし過ぎであろう。「一部の人は」とか「中には」とか言うべき。
我々も訪問する国についての基礎知識くらい、ちゃんとお浚いをして行くべきだ。
 
コモリン岬へ (バスで6時間)
カーニャクマリの街散策
お土産物屋さんがずらりと並んでいる。
 
ヴィヴェーカナンダ・ロック
沖合に見える二つの島(岩)の一つで、19世紀末のヒンドゥー教の宗教改革者であるヴィヴェカナンダが瞑想をした場所で記念堂も立っている。
岬からボートで5分ほどで着く。
片方の島には5世紀のタミル文学の詩人でティルヴァツヴァルの像が建っている。高さは40.5m。

コモリン岬 到達証明書

インド最南端の地で夕日鑑賞
岬の突端に立って右側がアラビア海、左側がベンガル湾、真正面がインド洋である。
インドで太陽が海から昇り、海へ落ちる様がみられるのはここだけ。
ヒンドゥー教の聖地の一つでもあるため、海に入って沐浴をする人も多い。
日没は18:20頃だったが、生憎曇り空で見られなくて残念。
 
5日目 9月15日
朝日鑑賞
日の出は6:10頃でホテルの屋上から待ったが、こちらも曇り空で見られなかった。
 
アレッピーへ (バスで約6時間)
到着後、ハウスボートにてバックウォーター クルーズへ出発。
ハウスボートは大航海時代に香辛料を運んだ船を改造して、今は観光船として利用している。前回は見なかった現地の人々もクルーズをしており、外国人は我々だけだった。
この3年の間にいかに国が潤ってきているかを証明するような場面だった。
一端アラビア海に出た水が川に逆流をするので、バックウォーターと呼ばれるようになったとか。
両岸に渡るように張った電線にカワセミが何羽もとまっており、「インドのビールと言えば、これか」と納得。
前回はスーツケースが持ち込めなかった為、一泊分の荷物だけを持って乗り込んだが、今回はそれが持ち込めたので、楽だった。
夜は川岸に停泊をして小屋から電源を取るので、シャワーのお湯も出た。前回は水のみだったので、進化したなと思った。

バックウォーター クルーズ

6日目 9月16日
朝、船着き場に戻る際、カモの夫婦が5羽の雛を連れて泳いでいた。とっても微笑ましくてこの仏頂面も緩む。
 
コチへ (バスで一時間半)
聖フランシス教会
1503年に建てられたインドで最も古いヨーロッパスタイルの教会。
ヨーロッパ周りのインド航路を発見したバスコ・ダ・ガマのお墓の跡がある。
現在、遺体はポルトガルのジェロニモス修道院に安置されていて、私は3回訪れたことがある。
修道院の建設資金はインドから持ち帰った香辛料の売買による利益により齎されたらしく、なるほど、ここで繋がるわけだ。
コロンブスはアメリカ大陸を発見したにもかかわらず、インドの一部だと信じ込んで亡くなったそうだが。
 
C社の最新のカタログが出発前に届いてこのコースの案内を見て驚いた。
バスコ・ダ・ガマではなく、「ザビエルの遺骨が安置されていた」と紹介されていて、旅行会社のレベルを疑う。
間違っていることを指摘してあげたが、「いいえ、間違っておりません」とシャーシャーとのたもうた。一体、どのくらいのカタログを発送しているのか知らないが、旅行会社は「恥」という言葉を知らないようだ。
「以前同じコースを訪問済みなので、良く知っているのだが」と伝えたにも拘らず、このような返事だったから、口あんぐりだし、自分の担当している方面のことを理解していないという事で、本当に恥ずかしいったらありゃしない。よく旅行会社に勤めていられるものである。チクリ!!😨

ついでに教会の名前も間違っていた。
「聖フランチェスコ教会」だと。
スルーガイドさんにもそれを見せたが、間違っているとはっきり言われた。

後記:後日、旅行会社から謝罪の手紙が届きましたが、対応が遅すぎますね。
 
ダッチパレス
1555年に最初はポルトガル人が当時の王様の為に建ててあげたもので、1633年にオランダ人が改築をした。
内部には48作品におよぶヒンドゥー教の神々の壁画で装飾されている。
特に叙事詩であるラーマ・ヤーナの世界を描いたものが、分かり易くて良かった。
残念なのは、館内の説明が専門のスタッフによる英語のみだった事。
スルーガイドさんが、気を聞かせて日本語で説明を始めると他のスタッフから注意があった。
英語が分からない人もいるのにこれは不親切極まりないし、説明がなかったことと同じだ。🥵
 
チャイニーズ・フィッシグ・ネット
4本の10m程の丸太の先に20mほどの四角い網がついていて、それを海中に沈めて魚の群れが通り過ぎるタイミングを見計らって網を引き揚げる。その際、陸では5、6人の男性が一気に綱を引っ張る。
コロンブスの新大陸発見(1492年)よりも87年も前に大艦隊を組んで世界の海を航海をしていた中国の鄭和が教えたと伝わる。
川の両岸に13キロに渡って500もの網が設置されていて、今でも当時と同じ漁法で魚を捕っているなんて、いかに素晴らしい方法なのかが分かる。

チャイニーズ フィッシング ネット

スパイス・マーケット
現在は香辛料のマーケットというよりかはおしゃれなお店が並んでいる。
 
念願のカタカリ・ダンスの見学
500年以上前から続く、コチの伝統舞踊であり、インド4大舞踊の一つ。
これは日本の歌舞伎、中国の京劇と並ぶ世界三大化粧劇の1つ。
カタは物語、カリは舞踊という意味で、言葉を発せずに指の動きと表情で神話を語る。
古代インドの抒情詩から演目が選ばれ、我々が見たのは「悪はどんな時でも退治される」というストーリーだった。

自分でメークアップをする

表紙の写真がカタカリ・ダンス

専門の劇場で見せてもらった。出演者は男性二人だけ。
メイクアップの様子から見させてくれて、顔の緑色はどういう意味なんだろうとか、目の隈取は力強さを表しているのかなとか想像をしながら見た。
ショーの前には目と手の動きがそれぞれどういう意味を表しているのかを教えてもらったので、理解が深まった。
特に女性役の人は写真で見たことのある方で、本当に表現力が素晴らしく、感動をした。口はあまり動かなく、目、眉と頬の部分が動いて愛情、嬉しさ、悲しさ、怒りなど9つの感情を表す。
例えば、手で魚が泳いでいる様子を表現しながら、口をパクパクさせたり。
男性の衣装は40キロほどあるとか。
今回はこれだけを見に来たのだけど、とても感激したので満足満足!

 7日目 9月17日 36度
国内線にてデリーへ。
 
ラクシュミ・ナラヤン寺院
ガンジー博物館
帰国の日のデリーの観光はどうしてもダブってしまいがちで、上記の2カ所については過去に記させていただいているので、省略します。
 
今回は昼食が「タンドリーチキン」で美味しかった!
7月と8月の中華料理なんか、まずくて2度と食べたくない。

南インド料理
「ワダ」というスパイシーなドーナツが大好き

いつもの紅茶店に立ち寄って空港へ。
ここのスタッフの人が、声をかけてきて、「あなた、最近3回来ているでしょ?」と言われたのにはたまげた。私はその方の事は全く覚えてなくて、恐縮。
 
8日目 9月18日
帰国
 
(コラム その1-カースト制度)
生まれにより日常生活において多くのタブーが存在し、酷い差別を生んできた。
独立後のインドではこうした不合理かつ非人間的なカースト制度は法律で否定され、廃絶のための努力が続けられている。現在は都市部ではそういった差別はないが、田舎ではまだまだ残っているようだ。
ガイドさんによると苗字でどの階級出身かが分かるとか。
 
1.バラモン    ヒンドゥー教などの司祭
2.クシュトリヤ  王、貴族または武士
3.ヴァイシャ   市民
4.シュードラ   労働者
5.ダリット    不可触民 1950年に法律によって完全に廃止
 
(コラム その2―言語)
インドには270以上の言語と1,600以上の方言があるそうだ。
なので、デリーに住んでいるスルーのガイドさんが、ずっと地方まで一緒だと現地のガイドさんと話が通じずに、突然第2言語である英語になったりする。
 
(コラム その3―九九
買い物をする際は、つい「○○%引き」などという赤紙に吸い寄せられるようにお店に入る。
いつも感心するのは、計算が早い事。インド人は二ケタの九九を覚えているので、割引後の値段を聞くと頭の中で計算をしてから電卓で確認をするが、正確に合っているのには驚く。
日本では9x9までだが、インドでは19x19までは最低教わるらしい。レベルの高い学校では99x99までだとか。
 
今回、観光地はすべて行った事のある場所ばかりだったけど、唯一見てなかった「カタカリ・ダンス」が見られたのでよかったです。
ツアーグランプリの賞を受賞したというのは、イマイチ納得いきませんが。

今回のスルーガイドさんは現在、南インド専門で、我々が到着した時も前のグループを見送った後、出迎えてくれたので、少し遅れて来ました。
1日休んで、又次のグループが来るそうで、この循環が数か月先まで埋まっているのだとか。
 
私の旅レポを読んでくださっている旅友の息子さんがインドのトップの大学へ留学をされています。この大学は入学するのも卒業するのも超難関として有名で卒業生は世界中で活躍をしています。
※  ここに記載することはご本人の了解済み
後記:現在はお医者さんになられて開業もされています。

写真は海外旅行50回目くらいでやめたので、旅行会社さんのパンフレットを引用させてもらっています。お礼申し上げます。

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