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中米7か国

(39番)  2011年  11月

中米7か国(① ベリーズ、② グアテマラ ③ ホンジュラス ④ エルサルバドル ⑤ ニカラグア ⑥ コスタリカ ⑦ パナマ)へ行ってきました。

今回は20日間という比較的に長いツアーですべて陸路の国境を超えます。
参加者は男性6名、女性11名の計17名でした。
「国盗り」をしている者にとって、こういう一度に何か国も回れるコースは手っ取り早くて助かります。
今回はその中でもコスタリカで「ケツァール」という鳥を見るのが楽しみでした。

今回のコース

1日目  11月25日
15:25 発 成田  デルタ航空(777-200)
                                      機内の窓から「オリオン座」がずっとくっついてき                て高度一万メートル以上なので、すごく大きく見えた。
13:50 着 アトランタ(ジョージア州の州都)
                               時差、マイナス14時間

2日目  11月26日
10:30 発 アトランタ デルタ航空(MD88)
12:44 着 ベリーズシティ(ベリーズの旧首都で現在の首都はベルモ                                                                パン)

①    ベリーズは中央アメリカのユカタン半島付け根の東部分に位置し、カリブ海にも面している。1502年にコロンブスが寄港。
1981年にイギリスから独立をした。人口は約30万人。
主要産業は農業、水産業、観光業(一番有名な観光地は「ブルーホール」で世界遺産)。
内陸部の密林には20を超えるマヤ文明(BC2000年頃から16世紀)の遺跡が残っている。

遅めの中華の昼食後、観光へ。
添乗員さんは英語やスペイン語で通訳をしてくれるが、レストランへ入るなり、流暢な北京語で注文を始めた。一体何者だ?

ベリーズシティから北へ約50km移動。
アルトゥン・ハ遺跡(7世紀ごろのマヤ遺跡で海岸から10kmしか離れていないために海上交易の要所であった。太陽神のヒスイの頭部像が発見された。約1,300年間も栄えた都市国家)

ベリーズシティへ戻り、スーパーへ。

ホテルへ。

夕食はホテルで(トマトスープ、ビーンズ ライス(ベリーズ名物でうずら豆とお米を煮込んだ一見、赤飯のような感じ)、チキンの煮込み、ココナッツケーキ)

3日目  11月27日
午前はベリーズシティ市内観光。

ベリーズシティは16世紀にイギリス人入植者(最初は製材業者)が町を建設。人口は約6万人。

バロンブリス灯台 →セント・ジョンズ・カテドラル →中央市場 →ヨットハーバー カハル・ペッチ遺跡(BC900年頃~AD900年頃。天文台を持ち、暦を管理していた)

カハル・ペッチ遺跡

ツーリスト ロッジのレストランにてランチ

午後は国境の町メルチョロ・デ・メノスにてグアテマラへ入国。

サンタ・エレナにあるホテルに到着。

ホテルのレストランで夕食(野菜スープ、アルパカのステーキ、クリームケーキ)

②    グアテマラは中央アメリカ北部に位置し、4つの国と国境を接しており、北部はカリブ海に南は太平洋に面している。
先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、中米では先住民の比率が高い。
人口は1,436万人で主要産業は農業と繊維産業。

4日目  11月28日
朝食後、マヤ文明最大級の神殿遺跡である「ティカル」の観光へ。
マヤ文明の政治、経済の中心都市としてBC4世紀から9世紀ごろにかけて繁栄をした。1979年に世界遺産に登録。
第四号神殿は高さが72mで上まで階段を上っていくのだが、結構しんどい。でも上からの眺めは素晴らしい。

ティカル遺跡
ティカル遺跡

その後、サンタ・エレナに戻り、フローレスへ。
ここから船でペテンシート島の「自然植物園」へ。
オオハシ、クモザル、コンゴウインコとジャガーなどがいた。特にジャガーとはお目にかかれる機会などないので、テンションが上がった。

ホテルへ。

5日目  11月29日
朝食後、リオ・オンドへ。

リオ・ドルセのレストランにて昼食(カリブ海沿岸の伝統的なガリフナ料理であるタパード
これはシーフードをココナッツミルクで煮込んだ料理で、魚の出汁とココナッツの味がミックスされて、まあ美味しかったこと)

午後は「キリグアの遺跡」の観光へ。
5世紀から9世紀頃まで続いた王朝の遺跡で世界遺産。この辺りは国内でもバナナが一番おいしい地域と言われており、遺跡はバナナ農園の中央部に残っている。
彫刻を施した歴代王の石碑がたくさん建っており、ほとんどが賢王カック・ティリウに関するもの。

デルモンテのバナナ プランテーション
添乗員さんは、だだっ広い農園をズケズケと歩いて行くので、我々もその後について行った。内心、勝手に入ってもいいのだろうかと訝しく思ったが。そのうち、よく工場で見るローラー コンベアーがあって働いている人々の姿も見えてきた。
我々が食べている長い形のバナナは輸出用で、グアテマラの人達はモンキーバナナを食べているとか。

ホテルへ。

6日目  11月30日
朝食後、国境を越えてホンジュラスへ入国。

③    ホンジュラスは中央アメリカの中央に位置し3つの国と接している。北と東はカリブ海、南はフォンセカ湾を経て太平洋に面している。
人口は714万人。主要産業はコーヒー、バナナ、メロン、養殖エビ。

コパン遺跡(古典期マヤ時代(435年から822年)の遺跡で世界遺産。
グランプラザ →球戯場 →神聖文字の階段 →石堀博物館(均等に切り出された石材が造り出す優美な装飾はマヤ文明の最高傑作と言われている。特筆すべきは7世紀に使用していた暦は現在の一年の長さとの誤差が4分19秒だとか。)

コパン遺跡

コパン村のレストランにて昼食(トルティーヤチップス、ピンチョス(鶏肉や野菜を串刺しにして焼いたものでスペインのピンチョスとは違う)、フルーツ)

午後は一路、再度国境を越えてグアテマラシティへ。

途中、カシューナッツ畑で写真タイム。

ホテル到着
ここでトラブルが発生。あるご夫妻のスーツケースが忽然と消えたのだ!
一体何が起きたのだろうか。

7日目  12月1日
朝食後、インディヘナの里であるチチカステナンゴへ。

朝食時に世界中を旅しているAさんが「早く海外旅行をした方が後の人生が違ってくる」と言った。その通りだと思う。

途中、チチョイのカフェにてマヤ式ホットチョコレート(唐辛子とシナモン入り)を頂いた。
美味しいし、甘くないので体にもよさそう。

途中、世界一美しいと言われるアティトラン湖のビューポイントで写真ストップ。

ソロラの町(聖母被昇天協会と市場)

町のホテルにて昼食(チュチートス(トウモロコシの葉で包まれたトウモロコシの粉の団子で中身は鶏肉のトマト煮)とマンチレ・レジェーノス(グアテマラ風肉詰めピーマン)、デザート)

チチカステナンゴ到着。
サント・トーマス教会(マヤの祭典である「ポポル・ブフー」の原典が発見された場所でかつては太陽の神殿があった)
カルヴァリオ教会(月の神殿があった場所)
インディヘナの市場

インディヘナの市場

ホテルへ。

8日目  12月2日
朝食後、アグア火山(3,760m)の山麓に広がる古都アンティグアへ。

今年一番の寒さで、美しい雲海を見ることができた。

ラ・メルセー教会 →十字架の丘 →カプチナス修道院跡 →織物博物館

町のホテルにて昼食(アスパラガス スープ、ぺチョン(チキンのシチュー)、ケーキ、コーヒー)

午後は一路グアテマラシティへ。

グアテマラ旧市街の観光。
大聖堂 →中央公園 →国立文化宮殿

ホテルへ。
11月30日に宿泊したホテルと同じで、例のご夫妻のスーツケースがやっと戻ってきた。
何が起きたかというと。
その日、添乗員さんはホテル側にセキュリティー カメラの録画を見せるように依頼して到着時のビデオを見たのだとか。そうすると同じころにホテルを出発する別のバスがいて、そちらのバスに積み込まれたのが発覚。目出たく、戻ってきたというわけ。
どう見ても先方側(東洋人ではなかった)がスーツケースの数をきちんと数えていないことがバレバレ。
この添乗員さんは初めてお会いする人だったが、この旅行会社の中でも優秀な人らしく、流石だと思った。
お詫びのしるしとしてホテル側から全員にグアテマラのコーヒーを1パックずついただいた。恐縮です。

9日目  12月3日
④    エルサルバドルはグアテマラとホンジュラスと国境を接している。太平洋に面しており、カリブ海には面していない。
主要産業はマキラ製品(原料をアメリカから輸入し、製品をアメリカに輸出)で保税区にて製造された衣類などがある)と農業。人口は676万人。

第二次世界大戦後の1955年に日本企業が最初に進出した国。
呉羽紡績(1966年に東洋紡と合併)が現地の綿を調達し加工すべく、工場を建設した。
1960年から1970年代には2,000人を超える国内でも最大級の工場となった。
内戦後は紡績業が振るわず、現在は500人程度となっている。

朝食後、国境を越えてエルサルバドルの首都であるサンサルバドルへ。
7時にホテルを出発してヴァレヌエボにてグアテマラを出国(スムース)し、エルサルバドルへ入国(時間がかかった)したら11時ごろになっていた。

国境を流れる川はレンパ川で全長560km。太平洋に注いでいる。

途中でサン・アンドレス遺跡(1910年、測量中に偶然発見された。火山の降灰で埋もれていたお陰で風化を免れた。低層のプラミッドがいくつも残っている)

サン・アンドレス遺跡

ホヤ・デ・セレン遺跡(「中米のポンペイ」と称されるこの国唯一の世界遺産。1976年、工事中に偶然発見された。こちらも600年頃の火山の噴火で1400年もの間眠っていた)

エル・アルコのレストランにて遅い昼食(ププサ(トウモロコシの粉の生地でビーンズ ペーストや肉、チーズなどをはさんで平たくしてから鉄板で焼く)、マヒマヒ(白身魚)のグリル、イチヂクケーキ)

サンサルバドル到着
バリオス広場 →カテドラル

ホテルへ
夕食はホテルにて(野菜のグリル、ビーフステーキ、チョコレートムース)

10日目  12月4日
早朝、国境を越えてニカラグアの首都であるマナグアに向かう。
国境の町、エル・アマテーヨで一度ホンジュラスへ入国。
パンアメリカン ハイウエイをバスで走る途中にはたくさんの牛たちが放牧されているのが見えた。空を見上げるとハゲタカもグルグルと飛び回っていてちょっと不気味。

途中のガソリンスタンドでお弁当の昼食。
イグアナ売りの少年たちがいた。これは食用で一匹US$20。

14時ごろ、グアサウルの国境にてニカラグアへ入国。
カラスもどきが草むらを這いまわり、タイラン鳥(スズメ目科で15cmほどの大きさ)も木々にたくさん止まっていた。

⑤     ニカラグアは北西はホンジュラス、南はコスタリカと国境を接しており、東はカリブ海、南西は太平洋に面している。
人口は約100万人。
主要産業は農業(コーヒー、ピーナッツ、サトウキビなど)、牧畜業(牛肉は高品質)。
キューバとは良好な関係を保っている。

ニカラグア最大の活火山、サンクリストバル山1,742mで写真ストップ。

17時ごろから、ニカラグア第二の都市であるレオンの観光。
カルヴァリオ公園 →カルヴァリオ教会 →大聖堂(1746年から約100年もの歳月をかけて建造された。2011年に世界遺産に登録)
中央公園 →レ・コレクシオン教会

レ・コレクシオン教会

20時ごろ、ホテル到着

11日目  12月5日
朝食はナカタマル(ニカラグア風ちまき)が出た。

朝食後、マナグア市内観光へ。
大統領官邸 →カテドラル(1972年の地震で崩れてしまい、現在は使われていない)
国立宮殿(ソモサ政権時代(1936~1979年)の国会及び迎賓館。1931年の地震で倒壊し、1940年に再建。1972年の地震では大地震に耐えた。凄い!)
ルベ・ンダリオのモニュメント(19世紀のラテンアメリカで最も偉大な詩人)
アナグア湖(琵琶湖の1.3倍の広さ。ソモサ政権時代の電池工場からの水銀汚染が酷い)→ハイパーマーケット

ニカラグア第3の都市であるグラナダへ。
ニカラグア湖(中米で最大で琵琶湖の13倍の広さを誇る)→サンフランシスコ会修道院(16世紀の修道院で1992年より博物館となる)→大聖堂 →コロン広場

グラナダの街並み

レストランにて昼食(温野菜(古かった・・・)、ビーフステーキ、フルーツサラダ(髪の毛が入っていた・・・)

午後は一路、コスタリカとの国境へ向かう。

途中、バナナの収穫現場とコンセプシオン火山とアデラ火山から成るオメペテ島で写真ストップ。

ニカラグアの人達の表情は暗い。1980年代の内戦の影響かもしれない。
グアテマラの人達の笑顔が懐かしい。

16時ごろ、国境の町カーニャブランカにてコスタリカへ入国。

⑥     コスタリカは北はニカラグア、南東はパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。
人口は430万人。
主要産業は半導体(空気が綺麗な点を生かしている)、観光業、農業、牧畜業。
自然保護と教育の国です。
かつて大きな犠牲を出した内戦の反省から、現在は軍隊を持たず(中米のスイス)、その分、国家予算の約2割を教育に充当している。

1502年、コロンブスがコスタリカのカリブ海沿岸に上陸した際に出会ったインディヘナが黄金と銀とで着飾った美しい姿で現れた為に、スペイン人は豊かな金の鉱脈があると思い込み、コスタリカ「豊かな海岸」と呼んだ。
コスタリカには100種の哺乳類、2,500種の植物、400種以上の鳥類、57種のハチドリ、蝶は2,000種が生息している。

ホテルへ

12日目  12月6日
朝食後、エコツーリズムの発祥の地で、世界のバードウォッチングの憧れの地とも言われるモンテベルデへ。

途中、ニコヤ湾を眺めるポイントで写真ストップ。

ラス・プンタスで鳥獣保護施設を見学。

12時ごろ、モンテベルデのレストランで昼食(スープ、ビーフかチキン、ケーキ)

スカイウォーク(雨の中を高さ25m~65mの8本の橋を渡る森林の宮中散歩。ケツァールがいないかと探すものの結局見つけられず残念。ただ、彼らの餌となるリトル・アボカドはたくさんあった。ケツァールは絶滅危惧種のリストに載っていてモンテベルデには1,000羽棲んでいる)

スカイウォーク
こういったジャングルの中を歩いてケツァールを探した

バタフライ・ガーデン →昆虫博物館 →カエル博物館

ホテルへ。
夕食はホテルにて(オジャ・デ・カルネ(オジャとは大鍋の意味で「おじや」の語源。野菜とビーフを大鍋で煮込んだ料理、チョコプリンと素麺

この旅行会社は旅行中に一回必ず素麺を出す。自分は海外に出てまで日本食を食べたくないのでいつも断っている。何故出すかというと皆さんに喜んでもらえるからというのが理由らしい。一部の人じゃない?・・・
でも添乗員さん(日本から持って行くのは重い荷物になるし、料理をするのも大変)の負担になるし、現地のホテルのキッチンを借りてまでするのは迷惑なんじゃないかな?
それに素麺を食べることによってお腹がいっぱいになり、現地の料理を残す人の多い事。
それはエコの時代に逆行していると思う。アンケートには何度も書いた。

13日目  12月7日
朝食後、コスタリカの首都であるサンホセへ。

途中、太平洋に面した国道27号線を通り、タバリスのビーチで写真ストップ。

12時ごろ、サンホセのレストランにて昼食。

午後はサンホセの市内観光。
ナショナル公園 →国立博物館 →文化広場 →国立劇場(1890年着工、1897年完成。パリのオペラ座がモデル。バナナとコーヒーの輸出税で建てた。外観はそれなりに綺麗)

国立劇場

ホテルへ。

14日目  12月8日
朝食後、国境を越えて一路パナマのダビへ。

タラマンカ山脈を越えるルートは大雨による崖崩れで通行不可となり、カルタゴを訪れた後、サンホセに戻り、国道27号線と34号線の太平洋ルートを通り、国境の町パソカノアスへ。

ロス・アンヘレス大聖堂(1635年に先住民の少女が黒い木造りのマリア像20㎝位を見つけ、そこに礼拝堂を建てた)→コーヒー プランテーション →タルコレス川のワニのコロニー

ラ・フォレスタ・ナチュラル・リゾート内のレストランにて昼食。

ここで、バスがエンジントラブルを起こして、修理をする間、リゾート内のジャングルウォークへ。クモザル、ハチドリ、ハキリアリ、バストン・デル・エンペラドール(ショッキングピンクの大きな花で、皇帝の杖という意味)など。

19時半ごろ、国境の町パソカノアスで出国と入国手続き。
ここにはクリスマスを控えてパナマに買い出しに行くコスタリカ人でごった返しており、ものすごい喧噪だった。途中で添乗員さんがここに並んでと言うので我々のグループが列を作ると「割り込みをされたと思った」のであろうコスタリカ人達から、物凄いブーイングが!
そこで、係官が何かを大声で発したら、「シ~ン・・・」と一瞬で静かになった。
後で聞いたのだが、「日本人はこの国に多額のお金を落としてくれる」と言ったのだとか。
正に「鶴の一声」とはこのことだ。
後記:今は貧乏な国に成り下がったので、この手は使えないかも・・・

22時40分ごろ、やっとパナマに入国。

⑦     パナマは北アメリカと南アメリカの境に位置し、北にコスタリカ、南東にコロンビアと接している。人口は312万人。
主要産業はサービス業で労働人口の65%が従事をしている。そのうち最大の物はパナマ運河。
ここにも独裁者として悪名高き人物ノリエガ将軍が1983年から1989年の間君臨をした。

23時半ごろ、ホテル到着
ホテルのレストランにて夕食だったが、あまりにも疲れたので自分はパス。食べた人の話だとプリンが美味しかったとの事。

15日目  12月9日
朝食後、ダビ市内観光。
ダビはチリキ州の州都でバルー火山の麓の肥沃な土地ではコーヒーや果物の栽培が盛ん。
ボリバール広場 →大聖堂 →セルバンテス広場 →聖家族教会

サンチャゴのレストランにて昼食(チキンスープ、ポークのグリル又は魚のフライ、チョコレートプリン)

午後はパナマシティに向けて出発。

16時半ごろ、パナマ運河に架かる全長2kmのアメリカ橋(1962年完成)を通過。

アメリカ橋

パナマビエホ遺跡(スペインによる統治の基地として太平洋側に最初に築かれた都市の跡)

ホテルへ。
ホテルのレストランにて夕食(サンコーチョ(パナマのチキン風スープ)、コルビーナのグリル、ピーカンパイ)

16日目  12月10日
朝食後、パナマ運河クルーズへ。
バスにてフラメンコピア港からチャグレス川がガツン湖に流入するガンボア港へ。

パナマ運河は全長82km、最小幅91m、最大幅200mで深さは一番浅い所で12.5m。10年の歳月をかけて1914年に完成した。
世界の海上交通を変えた大事業で、当時人類史上最大の難工事とマラリアの蔓延などにより難航を極めた。

パナマ運河

建設には一人の日本人「青山士(あきら)」氏が携わっている。特にガツン閘門では重要な設計を任された。
太平洋戦争の時にパナマ運河の爆破攻撃を立案していた大日本帝国海軍からパナマ運河についての情報を求められた。それに対して「私は造る方法は知っているが、壊す方法は知らない」と答えた。この辺は複雑な心境になったであろうことが窺い知れる。

クレブラカット(ガンボア港からペドロシゲル閘門まで13.7kmのパナマ運河最狭部。運河工事で最も困難だった所) →センティナリオ橋 →ペドロシゲル閘門(一段式閘門で約9m水位を下げる。1分間で約1m水位は下がる。閘門は中国の長江でも見たことがあって何度見ても面白い)

昼食はクルーズ船の中でバイキング。

ミラ・フローレス閘門(二段式閘門。約8mずつ、2回水位を下げる。太平洋側の鉄扉は高さ25m、幅20m、厚さ2mで重さは745トンもある。太平洋側の閘門へのアプローチは魚雷攻撃を考え、緩やかに蛇行している)→アメリカ橋(昨日通った)

フラメンコピア港に戻り、パナマシティの旧市街(カスコ・ビエホ)の観光へ。
エレーラ広場 →サンホセ協会 →カテドラル →聖フランシスコ教会跡 
→カルロス5世の像 →フランス広場 →魚市場(日本が協力をして建てた。カラスが水たまりで行水をしているのが見えた。本当に可愛かった。)→大聖堂

民族舞踊レストランにて夕食(サンコーチョ(鶏肉のスープ、パナマ風リゾット又はビーフのグリル、プリン、チチータ(パナマのカクテル)

パナマシティは高層ビルが林立していて都会のように見えるが、あくまでも投資目的なので、住んでいる人は少ない。確かに窓を見ても明かりがついていない部屋が多かった。
一般市民とそういった富裕層の人達との生活レベルのギャップが問題になっているそうだ。

ホテルへ。

17日目  12月11日
朝食後、コロンブスも停泊した港町ポルト・ベーロへ。

途中で道路の脇にナマケモノが木の上にいた。動作はやっぱり、の~んびりとしていた。

ガツン閘門(連続した3つの閘門で海抜26.52mまで船を上げ下げする。
ここで「Queen Victoria」という大型客船9万トンと中国の貨物船が通過するのを見た。
リッチそうな乗客達は満面の笑顔で手を振ってくれたので、我々もお返しをした。
片方の岸にちゃんと見学をする建物があって、添乗員さんがマイクを使って説明をしてくれた。他にもたくさん観光客がいたが、一大スペクタクルであった。通行料はクルーズ シップは2千万円で貨物船は400万円)

フェリーに乗り対岸へ。

あるホテルのレストランにて昼食(マッシュルーム スープ、スズキのフライ、ケーキ)

午後はカリブの宝石と言われるポルト・ベーロの観光。
1597年に港湾都市として築かれた町
宝物庫兼登記所(税関)→サン・ヘロニモ要塞 →大聖堂(黒いキリスト像がある)→サンチャゴ・デ・ラ・グロリフ要塞

ホテルへ。

ベリーズシティからパナマシティまでの7か国間の移動距離は3,629kmでした。
東京から香港までの飛行距離に相当するとか。

18日目  12月12日
09:25 発 パナマシティ デルタ航空
13:35 着 アトランタ

アトランタ市内のショッピングへ。
CNNの建物へも立ち寄った。

空港の敷地内にあるホテルへ。

19日目  12月13日
11:15 発 アトランタ デルタ航空

20日目  12月14日
15:55 着 成田

写真は旅行会社さんのパンフレットを使用させていただきました。お礼申し上げます

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