シリアとヨルダン
(58番) 1992年 9月
シリアとヨルダンへ行ってきました。
今回は男性7名、女性18名の計25名の参加者でした。
1日目 9月15日
✈ 16:00 発 成田:パキスタン航空
19:15 着 マニラ
✈ 20:30 発 マニラ:同上
22:30 着 バンコック
2日目 9月16日
✈ 00:01 発 バンコック:同上
02:45 着 カラチ
✈ 05:30 発 カラチ:同上
08:10 着 アンマン(ヨルダンの首都)
時差マイナス6時間
ヨルダンの国の説明
オスマン帝国による支配の後、1919年からイギリスによる委任統治を受けた。1946年に王国として独立。
国民の半数は中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人達とその子孫である。
🚌 マダバにあるネボ山の観光
死海の東北端より約9kmの所にあり、その標高差は1,200m。
ネボ山は神がイスラエルの民に与えられた約束の地をヘブライ人の預言者モーゼに眺望させた場所でモーゼ終焉の地とされる。
聖ジョージ教会(モーゼ記念教会)
パレスチナ最古の地図のモザイク画が残る。
アンマン市内に戻る。
ローマ劇場
2世紀にローマ皇帝によって建設された。6,000席あり、現在でもイベントなどに使われている。
博物館
ヨルダンの歴史と文化が紹介されている。写真は不可。
アンマン泊
3日目 9月17日
朝食後、死海へ。
海抜750mから一気にマイナス400mへ。
泳げなくても簡単に浮遊体験ができる。
午後はデザート・ハイウェイを走りアカバへ。途中、ワディ・ラムに立ち寄る。道路はたくさんのトラックが行きかい、道路わきにはラクダの群れが。
ワディ・ラム
映画の「アラビアのロレンス」が撮影された場所で、広大な砂漠地帯が広がる。
運よく、貨物列車が通った。
オスマン帝国によって建設されたヒジャーズ鉄道はシリアのダマスカスからサウジアラビアの聖地メディナまで走っていた。
我々が見たのはアンマンからマアーンまで走るヒジャーズ鉄道の残りだそうだ。アマーンにはリン酸塩の鉱山がある。
もう一つの残りの区間はアンマンからシリアのダマスカスまで走っているそうだ。
アカバ泊
4日目 9月18日
朝食後、アカバ湾の遊覧へ
アカバ湾の向こう側にはイスラエルが見えて、こんなに近いのだと驚いた。
グラスボートで遊覧
珊瑚やウニなどたくさん。
その後、ナバティア王国の都として栄えた幻想的なペトラ遺跡へ向かう。
ペトラ遺跡
ヨルダン南部の死海とアカバ湾の間にある渓谷にある。
B.C.2世紀頃に遊牧民であったナバティア人が住み始めた場所。2世紀にローマ帝国に滅ぼされるまで隊商都市として多いに栄えた。建物のほとんどが岩を削って建造されている。
ここへは馬に乗り(馬子についてきてもらう)狭い渓谷を通って行くのだが、水の浸食によって削られている岩がとても綺麗だ。
シークと呼ばれるこのうねった1.5kmの道の先には有名な「エル・カズネ」が見えてくる。ここは宝物庫として使われていたが、現在は蛻の殻。
馬子のアブドゥーラは16歳で、12人兄弟、朝の6時から夜の6時まで働いているとか。
馬はスージーといってメスで、とても大人しい。
下りた後、「ありがとうね」と言いながら首を撫でると「どういたしまして」とでも言っているかのようだった。
しかし、アブドゥーラは決められたチップよりも多く要求してきた。添乗員さんからはそれ以上は払わないようにときつく言われていた。
困っているとそれを察したかのように誰かが呼んでくれたので、助かった!
映画「インディ・ジョーンズ、最後の聖戦」のロケ地。
ペトラ泊
5日目 9月19日
シリアとの国境に近い隊商都市ジュラシュへ。その後国境を越えてダマスカスへ。
ジェラシュ遺跡
アンマンから北へ約50kmの所にある。
誰が建設をしたのかは不明で、ローマのハドリアヌス帝が2世紀にここを訪れて、「ハドリアヌス凱旋門」を残した。
中央広場から北へ向かうと石畳の列柱通りがあり、その脇には大聖堂や大浴場跡などが残されている。1kmほど歩くと南門がある。
シリアに入国
シリアの国の説明
オスマン帝国の支配下の後、フランスの委任統治を経て1946年に独立。
1971年にハーフィズ・アル・アサドがクーデターで政権を掌握して以来独裁政治が続いている。
第三次中東戦争の際、イスラエルに南部のゴラン高原を占領されてからは対立関係にある。
後記:2011年の「アラブの春」に端を発した反政府デモ以降、国内の反政府派が弾圧を受け続けており、その結果、難民は国内で600万人、海外で500万人と言われている。
町中のあちこちにアサド大統領の顔写真が張り出されていて、奇妙な感じ。
イスラム教は偶像崇拝がご法度のはずでは?
後記:この時は今の大統領のお父さんの時代
ダマスカス泊
6日目 9月20日
ダマスカス市内観光
シリア国立博物館
主に人物の彫刻像が多かった。中の写真は不可。
アゼム宮殿
オスマン帝国時代(1750年頃)のダマスカス統括者アサド・パシャ・アル・アゼムが建てた宮殿。民族博物館となっており、人形で分かりやすく展示してある。
聖アナニア教会
シリアは人口の10%がキリスト教徒である。
「パウロの回心」として有名な教会。
ユダヤ教徒であったサウロ(パウロ)はキリスト教徒をことごとく迫害していた。
ある日、ダマスカスへ向かう途中、光が眩しくて落馬し目が見えなくなってしまった。
イエスの言葉を聞いた弟子のアナニアはサウロを迎えに行き、彼の体の上に手を置いた。
そして、イエスの言葉を伝えた。するとサウロの目から鱗のようなものが落ち、目が元通り見えるようになった。回心したサウロはキリスト教の布教者になった。
これが「目から鱗が落ちる」の語源となったと言われている。
洞窟教会となっていて、中に入ると上の話が順番に絵で表されている。
パウロの門
逆にユダヤ教徒から追われる身となったパウロがここから逃げ出した。
上から吊り下げてもらい下に降りたのだそうだ。
ウマイヤード・モスク
創建は715年で世界最古のモスクと言われている。イスラム教第4の聖地でもある。
異教徒の女性は入り口でヒジャブを借りる。
中はとても広くてローマ時代のビザンチン様式による大理石のアーチとそれを支える柱、窓のステンドグラスが美しい。
元々はキリスト教のヨハネ教会だった所で、ダマスカスがイスラム教のウマイヤ朝に支配されるようになるとモスクに代わった。聖ヨハネのお墓もあり、キリスト教徒にとっても大切な場所となっている。
サラディン廟
12世紀に十字軍との戦いでエルサレムを奪還し、アイユーブ朝を建てたイスラムの英雄サラディンが眠る。
カシオン山
標高1,151mの山の斜面には謎の洞窟がある。
そこは最初の人間であるアダムが住んでいたとか、預言者アブラハムに関する物語とか、イエスもここで祈ったとか、カインがアベルを殺した所とか・・・
これは中世のアラブの歴史書に記録があるらしい。
ここからはダマスカス市内がよく見える。
スークの見学
ダマスカス連泊
7日目 9月21日
朝食後、中近東に残る十字軍の名城、クラック・デ・ジュバリエへ。
その後、大水車で知られるハマに立ち寄る。
クラック・デ・ジュバリエ(世界遺産)
12世紀に聖ヨハネ騎士団の本拠地となった要塞で、その後13世紀にイスラム王朝によって攻め落とされてイスラム様式のお城となった。
後記:シリア内戦によって2013年に空爆を受け、一部が破壊されてしまった。
ハマ
ハマは農業の中心地で川底の低いオロンテス川から農地や用水路への灌漑を行うために水車が使われていた。10世紀ごろから使われており、現在は16台が観光用として残っている。一番大きなものは直径が20mもあり、木製の水汲み水車としては世界一の大きさを誇る。藻がびっしりと絡まっていて、歴史を感じさせる。
エブラ遺跡
B.C3,000年後期から1,800年にかけて栄えた王国だった場所。
1974年に楔文字で書かれたエブラ文書と呼ばれる粘土板が17,000枚ほど発見されて歴史を解き明かす貴重な資料となった。
現在、イタリアのチームによって発掘中。
アレッポ城
アレッポはトルコに近く、シリア第2の都市。
13世紀のアイユーブ朝の時代の建設。
後記:アレッポは内戦により破壊されつくされており、アレッポ城の城壁(写真で見たが、自分が撮ったものと比べると悲惨である)、ウマイヤード・モスク(ダマスカスに次ぐ規模の大きさだが、崩れた壁などがむき出しになっていて歩くのも無理そう)など。
900年の歴史を持つイスラム教寺院のミナレットはもうない。
スーク
B.C.1世紀に始まったとされ、世界最古。中は迷路のようになっている。
ここでは超有名な「オリーブ石鹸」が売っていて使ってみるとその良さが分かる。肌が乾燥しなくてしっとりとする。
後記:内戦で火災が発生し、多くの商店が被害にあっている。
1番のイラク編に書いたようにオリーブ石鹸の職人たちは現在トルコに亡命して石鹸を作り続けているそうだ。そういう技術がなくならなくて何だかホッとした。しかし、当人たちは早く国に帰りたいと願っているはず。
アレッポ博物館
エブラ遺跡で出てきた楔文字の粘土板や25,000枚の粘土板で「マリ文書」と呼ばれるものなどが展示されている。マリはシリアのデリゾール近くにあった都市でB.C.3千年からB.C.1,800年頃に繁栄したメソポタミア文明だがハンムラビによって破壊された。
アレッポ泊
22日目 9月22日
朝一でキリスト教地区のアルメニア教会へ
丁度、礼拝中で牧師さんの素敵な声が鳴り響いていた。
アルタウラ(ユーフラテス川のタプカダムとアサド湖を見学)
リファサ遺跡
約1,000年もの間栄えた東ローマ帝国(ビザンツ)時代にあった隊商都市でかなり広いが辺りは砂漠でポツンとある。教会跡や貯水槽跡など。
ラッカ
アッバース朝の宮殿
796年にアッバース朝第5代王によって建設された。広さは10平方キロメートル。
後記:ラッカは内戦中にイスラム国に4年間も占領されたが、反政府軍によって解放された。
いやはや、行った事のある場所がこんな組織に占領されるなんて、空恐ろしい。
デリゾール
後記:2011以降の内戦では「デリゾール包囲戦」というアサド政権とイスラム国との間で激しい攻防が繰り広げられた。その後、反政府軍も加勢してイスラム国を封じ込めた。
デリゾール泊
ホテルに考古学者の江上波夫氏が滞在しておられ、グループの皆さんはとても感激しておられた。明日行く遺跡の発掘調査をされているようだ。
9日目 9月23日
シュメール文明を今に伝える古代都市マリとユーフラテス河畔に残る隊商都市、デュラ・ヨウロボスの見学
デュラ・ヨウロボス
B.C.300年頃に建設された国境都市で長い間砂と泥で埋まっていたために保存状態がよく、別名「砂漠のポンペイ」と呼ばれる。ユーフラテス川沿いに建てられた宮殿、城塞やパルミラ門など。レリーフやモザイク画などは博物館で保管されている。
マリ遺跡(発掘中)
マリ王国(B.C.3,000~B.C.1,800)の時代の遺跡で1933年にフランス人が発見した。
それまではベドウィンがお墓として使っていたとか。
屋根で覆われている王宮には100以上の部屋があった。
ここで過日アレッポ博物館で見た「マリ文書」と「イシュタール神の泉の像」が見つかった。
ジグラット(日干し煉瓦を積み上げて建てられた巨大な聖塔)の向こうにはイラクが見える。
昼食は魚のフライ(美味しかった!)
シルクロードを通りパルミラへ
パルミラ遺跡(世界遺産)
今回の旅のハイライトでシルクロード最大の遺跡である。
パルミラとは「ナツメヤシの街」という意味。
ローマ帝国支配時代の都市遺跡でローマ様式の建築物が多く、ベル神殿、列柱道路、浴場、要塞、バールシャミン神殿やローマ劇場などが残っている。
後記:ベル神殿、バールシャミン神殿と凱旋門は2015年にイスラム国によって爆破されてしまった。
パルミラ泊
10日目 9月24日
早起きして、パルミラに昇る朝日の見学
ゼノビア女王が沐浴したと言われるエフカの泉
希望者のみ入った。泥パックもできる。
夕食はベドウィンのテントで
パルミラ連泊
11日目 9月25日
アンマンへ戻る。
途中、アンチレバノン山脈の谷間に位置し、東方正教会の町のマアルーラへ寄る。
マアルーラ
イエス時代の言葉であるアラム語が今も話されている。岩山の斜面にへばりつくように青い屋根の家々が並んでいる。
聖テクラ修道院
聖パウロの弟子の聖女テクラが迫害を逃れて身を隠した場所。
聖セルジウス修道院
世界最古と言われる教会でゼウス神殿の一部を利用して建てられているとか。
シリアを出国し、ヨルダンへ再入国
入国した途端にお祭り状態で、聞いてみると前日にフセイン国王がどこかから帰国したようで、それを祝っているのだとか。
✈ 21:30 発 アンマン:ロイヤル・ヨルダン航空
12日目 9月26日
05:00 着 カラチ
希望者のみカラチ市内観光へ
自分はカラチの海岸をラクダに乗って散歩をした。
トランジット ホテル泊
13日目 9月27日
✈ 04:25 発 カラチ:パキスタン航空
06:15 着 イスラマバード
✈ 07:25 発 イスラマバード:同上
パキスタン航空のこのルートは高い山脈が連なっていてとても景色が良い。気流が不安定なのか、かなり揺れるが。
15:55 着 北京
✈ 17:05 発 北京
21:55 着 成田
後記:
パレスチナ人だというヨルダンのガイドさんは、今頃、母国イスラエルで無事に暮らしておられますように。
また、シリアの人々は平穏無事な日々が早く戻って来ますように願っております。
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