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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 10

失われた時を求めて

2巻113ページまで。このあたりはずっとスワンとオデットがどうやってくっつくかのくだり。スワンは最初オデットにそんなに気持ちが入らなかったが、いろんな口実をつけてだんだん気分を盛り上げていく。例えば一緒に聞いて感動した曲を、二人の思い出の曲としたり。

注釈で知った全然関係ない話。菊という花は日本からフランスへ輸入されて伝わった花だそうだ。知らなかった。

スワンとオデットの恋愛は、決定的に実を結ぶまでないにしても順調であり、スワンには余裕が伺える。もっと仲のいい別の女性がいたりもする。徐々にオデットへの熱に浮かれていく自分を楽しんでいるというか、客観的な自分がいて、抑制したり調整したりしている。

このあたり思い出すのは、ヨーロッパの昔の貴族が退屈すぎて、ありとあらゆる享楽にふけっていた話。恋愛をゲーム感覚で楽しんでいる。現代人よりも意図的というか、自覚的な態度で取り組んでいるように見える。心がざわめいたり、乱されることを自ら求め、退屈しのぎに楽しむ様子。

いわゆる恋愛中毒の人が、恋愛という遊びに振り回されている様子とはまったく異なる冷めた態度。現代においても、地位も名誉もあり、欲しい物なら何でも手に入る立場に立った人が、新たな刺激を求めて退屈しのぎにアブノーマルな享楽にふけったりする。スワンの態度はその前兆なのだろう。

僕自身はそんな立場に立ったことはなく、いつも心の余裕がない。スワンのように人生に余裕があり、恋愛を自分の退屈を紛らわせる遊びのように楽しむようなことはできない。だからこういう心情に決して共感できない。

僕自身はどちらかというと、恋愛に心身かき乱され身動き取れなくなる方だった。それでなるべく恋愛を避けてきた。彼女が欲しいと思ったことはなく、恋愛が楽しいと言う人のことが信じられなかった。しんどいだけ。

プルーストを読む生活

54ページまで。電子ピアノを買ったという話。子供の頃にピアノを習ったことがあり、才能どころかセンスもないとほのめかされて以来のピアノだそうだ。遊びとしてのピアノを楽しんでいるとか。ふーんです。

僕はピアノはおろか、楽器未経験。小学校のときにリコーダーをやらされたぐらい。音楽に馴染みがない。聞いたり歌ったりはするけれど、楽器は…楽譜嫌いだったなー。実家にピアノがあり、妹は小学生の頃に習っていた。いとこと近所の人がギターを弾く。その気があれば触れる機会はあった。

しかし一切関わってこなかった。その気がない。大人になってから一度、ウクレレがめっちゃ簡単で安いからと薦められた。やりたいとは思わなかった。今後も特に、そういう方向で趣味を広げようとは思わないだろう。だいたい僕はあのピアノの練習の音が聞こえるだけで、間違えまくって練習しまくる音が耳障りで耐えられなかった。

「失われた時を求めて」は、通勤時間に電車の中で読んでいるそうだ。僕がサラリーマンだった頃は通勤時間に寝ていたか、ごく短い通勤時間の場所に引っ越していた。周りを見渡すと、通勤・通学中に本を読む人はよく見かける。もちろん、圧倒的にスマートフォンの画面を見ている人が多い。今や電車に全然乗らなくなった。

僕は今「失われた時を求めて」を、勤務時間中に読むことが多い。なかなかふざけた態度だと思う。特に午前中が多い。夕方から夜にかけては眠すぎて、本なんか読めたもんじゃない。睡眠時間が足りていないのだと思う。もしくは家に帰ってから読む。

ついに「失われた時を求めて」を読まない日のことが出てきた。「ストーナー」を読んでいるらしい。「ストーナー」とは、アメリカの作家ジョン・ウィリアムズによる1965年の小説です(Wikipedia)。名前だけ聞いたことある。そして「ちょっとスワンはいいから」と書いてある。わからんでもない。スワンの恋愛なんてどうでもいい。でもあと300ページは続くぞ。

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