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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 6

失われた時を求めて

1巻の320ページまで読んだ。第一章のタイトル「スワン家のほうへ」のスワン家のほう、というのが、レオニ叔母の家の扉のことだったことが判明する。コンブレーの家には2つ扉があり、反対方向を向いていて、一方がゲルマントのほう、もう一方がスワン家のほうを向いている。スワン家のほうの扉から出るときは、そちらの方角へ出かけることが定例になっている。

このあたりでは、子供の頃の世界の見方、世界の認識の狭さがわかりやすく書かれている。行き先だけが頭の中に残っており、そこまでの道のりは通り過ぎる過程として忘れられている。また、それぞれの行き先は認識の中で独立して存在しており、自宅と地続きの位置関係として把握されていない。自宅から地点、地点へとワープしているかのようだ。

僕も子供の頃は、家の外をこのように認識していた。特に、親の車で移動するにあたっては、距離や位置関係はまったく把握しておらず、行き先だけが独立していた。車に乗り、降りると親戚の家だったり、銭湯だったり、飲食店だったりした。それぞれがどこにあるかは、運転しない僕には重要ではなかった。

スワンの娘、ジルベルトが登場する。この頃は一体何歳なのだろう。主人公も何歳なのか。僕は年齢にとらわれ過ぎているのか。

プルーストを読む生活

「プルーストを読む生活」で読まれている「失われた時を求めて」まで、まだ到達していないため二回休み。一瞬だけ読んでしまった「プルーストを読む生活」の続きは、コンブレーの話など全然しておらず事態が変わっていた。もう少し先になるのだろう。同時進行している意味がなくなるようで、さすがに読めない。

さっさと追いつかないと、いつまで経っても「プルーストを読む生活」を読めない。最近バタバタしていて、やっとのことで「失われた時を求めて」を読む時間を割いている。もしくは眠くてまったく本を読めないか。ここ数日は通常の日記も、その元になっている手書きのノートでさえほとんど何も書いていない。今3日前の日記を思い出しながら書いているところ。

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