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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 7

失われた時を求めて

1巻の365ページまで読んだ。もうすぐ1巻が終わる。このペースで読めば明日終わるだろう。だいたい一週間かけて1巻読んだことになり、このままのペースで進めば全14巻読み終えるのに14週、4ヶ月ほどかかる計算になる。でもきっとこれからペースは落ちるだろう。半年はかかると思っておきたい。

今から半年となると、来年の春まで「失われた時を求めて」を読んでいることになる。そんな長い読書体験というのは、なかなかイメージが湧かない。これまで14巻もある長編は読んだことがない。長くてせいぜい5巻程度、カラマーゾフとか。カラマーゾフはその性質上、一気読みした。「失われた時を求めて」は一気読みするタイプの小説ではない。14巻も一気読みする体力はない。

1巻の終盤、コンブレーではレオニ叔母の死が描かれるようになった。相変わらず時系列がわからない。また、このあたりではヴァントゥイユ氏とその娘に焦点が当てられる。ご近所の噂話。そのヴァントゥイユも少し先になると亡くなっており、その間どれぐらいの時間が跳躍しているのか。

主人公は、自然の美しさに女性への欲望を重ねている。自然の中から都合のいい女性が現れたらいいのに、という願望を詩的に表現している。この小説は全体的に、文体を楽しむタイプの小説かもしれない。散歩中の植物の描写など、多岐にわたる。サンザシなんて花は聞いたことがなかった。

舞台の描写が細かく、また大抵は褒めるというか、良さを書いているため、土地や文化への興味を触発する。早くもフランスを訪れてみたいと思った。多分この先パリや他の街も出てくると、なおさらフランスに興味を持つことが予想される。今まで特に、フランスに興味を持ったことはなかった。ヨーロッパは二度旅行しているけれど、フランスには一歩も足を踏み入れていない。

かつて、小説を読んで訪れた場所がいくつかある。カフカを読んでプラハを訪ね、サリンジャーを読んでセントラルパークを訪ねた。僕にとって小説は、旅行先を選ぶ動機になりやすいのかもしれない。「失われた時を求めて」を読んで、フランスへ行くことになるだろうか。

プルーストを読む生活

2回休み、やっと追いついて読み進めることができる「プルーストを読む生活」。主人公が傘を振り回して奇声を発するシーン、ちくま版では「ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ」だったようだ。岩波新訳では「えい、えい、えい、えい」というやや普通の表現で訳されていた。

「プルーストを読む生活」でも、やはり僕と同じように時系列がわからなくなっている。主人公は今何歳なのだろうと同じ疑問をいだいていた。僕の読み方はそんなに外れていないようだ。「失われた時を求めて」を読む人は、きっとみな同じ感想をいだく。あれ、この人10歳ぐらいじゃなかったっけ?と。

性描写への苦手意識が書かれている。「失われた時を求めて」には仰々しくオブラートに包んで華やかにぼかした性描写が登場する。僕は今まで小説を読んでいて、あまり性描写が苦手だとは思ったことがない。きっと種類によると思う。合わない小説もあるだろう。性描写が露骨だとよく言われる川端康成や大江健三郎の小説は、まだ一度も読んだことがない。村上春樹や三島由紀夫は平気だから、まあ平気なのだと思っている。

エリック・ホッファーの話題が出てきた。「失われた時を求めて」には関係ない話。エリック・ホッファーは、僕は偶然去年に読んでいる。僕がエリック・ホッファーにたどり着いた経緯はホーボーだった。ジャック・ケルアックの路上に出てきたホーボー。電車を無賃乗車しながらアメリカ大陸の各地を移動する季節労働者のことで、エリック・ホッファーは一時期ホーボーをやっていた。

僕が読んだのは「エリック・ホッファー自伝」。ホーボーの生活を知りたくて読んだ。「プルーストを読む生活」にもエリック・ホッファーにたどり着いた経緯が書かれており、僕とは全然違った。スノビズムがどうたらこうたら。スノビズムという言葉は、僕は「フラニーとゾーイー」で知った。典型的なアイビーリーガーを指す言葉として使われていた。フラニーの付き合っている彼氏、レーンがアイビーリーガーだった。日本だと東京六大学あたりになるのか。

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