ゲーム好きが自己分析した結果ゲーマーに向いていないことがわかった話②

前回は自分とゲームの馴れ初めみたいな話しかできなかったんだけど、このへんから僕の拗らせゲーマーライフが始まる。

その②「混ぜるな危険!引きこもりとJRPG!」

多少荒みながらもギリギリ小学校を卒業した僕はまさかの2回目の海外渡航。ヨーロッパはハンガリーでの暗黒時代が始まった。

まぁ多感な時期にほんといろんなことが重なった結果、海の外で半引きこもり生活を送るという、最近流行りのステイホームを20年近く前から自主的に実践していた。

当然ながら当時はYouTubeもNetflixもないわけで、日本帰国までの長い時間を一番効率的に忘れさせてくれたのがゲームと2ちゃんねるだった。

もうね、この時のゲームソフトっていうのはファーストガンダムにおける塩と同じくらい貴重だったの。
切らしたら最後、俺という名のホワイトベースはジオンの領空圏だろうがブライトさんぶん殴ってでも引き返すか、それが叶わないなら轟沈せんばかりにゲームに依存していた。

もちろん現地に同年代の日本人もいたし何人か友達もできたけど、とにかく体育会系タイプの子が多くて、当時はまだ市民権を持っていないヲタクであった自分とはまぁノリが合わなかった。

そんな海外生活の唯一の希望は一年に1.2回ある一時帰国。ここが唯一のゲームソフト補充ポイントであり、中1の冬の最初の一時帰国で前述の2本以上に運命的な出会いを果たすことになる。
「ファイナルファンタジーX」と「テイルズオブデスティニー2」だ


この2本はいわゆるJRPGと呼ばれる日本製のRPGゲーム。
JRPGという呼び名こそなかったものの、アニメ的な世界観とキャラ重視の作品性、二次元の美少女キャラにブヒブヒできるようなゲームは当時日本製の物だけだった。
それをあまり快く思わない海外ゲームファンが揶揄する意図で後に出来た言葉がJRPGだ。

だがこの「キャラ重視の作品性」が当時の自分にブッ刺さった。
自分が一番目を逸らしたい現実からかけ離れたファンタジー世界で、こんな自分にも暖かい言葉をかけてくれる仲間が何人もいて、そんな仲間達と助け助けられを繰り返しながら世界を救う。
久々に味わう自己肯定感だった。

そしてそんなキャクターたちには可哀想な過去だったり、特殊な生い立ちだったり様々なドラマがあるわけで、「お前たちも大変だったんだな…俺とおんなじだ」という思春期特有の出所のわからない共感と共にJRPGの沼にズブズブとハマっていった。

そんな自分にさらに拍車をかけたのが、ロックマンDASHで身につけた「骨の髄まで遊び尽くすプレイスタイル」だった。
結末を知っていながら同じ作品を何度もクリアしてキャラや世界観の見解を深め、ネット掲示板で顔も知らない同志と考察を繰り返す。

ゲームが友人とのコミュニケーションツールから、自己否定に埋もれた自分を安置するシェルターのようなものになってたんですね。

そして何がやばいってこの先、三十路に至るまで、プレイするゲームのジャンルが完全に固まってしまったのだ。

最近知人に子供が産まれることも多くなってきたので忠告しておきます、思春期の我が子にJRPGは買い与えない方が良い。必ず性癖が歪みます。
単純明快なマリオを買い与えてください。
人畜無害のどうぶつの森を買い与えてください。

そして帰国子女の諸行無常なところが、親の駐在期間が終わったらみんな問答無用で去っていく。
唯一カードゲームの相手になってくれてた一歳上の友人、ひろあきくんが帰国した中3の春、自分が心を開ける遊び相手は本当にプレステだけになっていた。

その③「親友はギャルゲー宣教師」に続く。

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