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再開のイマ

立冬|山茶始開
令和5年11月8日

過去のコヨムを振り返る。令和3年3月24日にコヨムが始まっていた。拙い文章ながらも,当時の「書きたい」という興奮が蘇ってくる。ちょうど約1年前に書いたレター「立ち止まると何がみえる」をもって今日まで,コヨムは更新が止まった。レターの文末には,言い訳がましく書かなかった自分を正当化するようにこう結ばれていた。

「これからもコヨムの歩幅で歩いてく。少しペースをゆるめても,そこにあるのはコヨムです。」

コヨムのない一年,この一年になにがあっただろう。個人的には大きなプロジェクトが始まり,遠い国では戦争が始まった。やはり日々ごはんを食べ,そしてコヨムの3人が集まった。 一年という人間的時間観を振り返ると,こうした瞬間のハイライトが断片的に呼び起こされるけれど,80億人がその時々で充溢とした人生を生き,無数の生命たちが蠢いたことは間違いない。

結局のところ時間は無情に時を刻んでいる。いや,こうした時間観は人間が発明したらしいつい最近のもので,原初には空間の中の存在だけがイマという極限を構成していた。レターを書き終わる頃,冬が,明日が,イマが次々とやってくる。

-S.F.


山茶始開

ツバキハジメテヒラク
立冬・初候

Powers of Ten

数億年前の地質年代を仕事で日常的に扱っていたせいか,あまりの自分のちっぽけさに感動することがある。自分の意識は自分のものと思いがちだけれど,それが圧倒的なスケールで相対化される瞬間が好きだ。ここで紹介する動画は建築家,デザイナーとして知られるイームズ夫妻が製作した短編映画である。10秒ごとに10のべき乗ずつ高度を増減させた映像は,湖畔で気持ちよくピクニックをするあなたが,いかに美しい人生の物語を有しているかを気づかせてくれるはず。

I, Pencil

いまあなたの手元にある1本の鉛筆を,あなたはゼロから作ることができるだろうか。それが可能な人間はこの地球上に誰一人いないとノーベル経済学者のミルトン・フリードマンは一蹴する。鉛筆の骨格を成す木材はアメリカワシントン州のどこかで切り倒される。切り倒すにも斧が必要で,斧を作るには鉄が必要だ。鉛筆の芯に使われる鉛は南アメリカのどこかで採掘され圧縮加工される。 この映像を取り上げることでグローバリゼーションを礼賛したいのではない。ちっぽけだが緻密な人間の営みに感動していたい。


コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。

再開のイマ
https://coyomu-style.studio.site/letter/tsubaki-hajimete-hiraku-2023


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