能動的行動と受動的行動

心と体は其々が独立している存在ではないと考える。両方が同時に存在する事で、人となるのだと思う。

その人は、意思はあるが、意志を持たないと能動的な行動と思考ができないという事がわかってきた。これは、私がこの年になって、初めて分かった事であり、先人の聖人たちは気づいていた事であろう。「Secret」でも伝えようとしていることである。

心とは実態がなく、外的要因、そして内的要因に影響を受け、心が揺れ動く。不安定な心は、消極的になることは簡単である。ということは積極的になる事も簡単なのではないだろうか?!

人は、気づかないうちに他人、情報に影響を受ける。暗示をかけられ、それに気づかないでいる。

私は、合氣道を通じて気づいたことがある。人の心は素直でまっすぐなのである。「物事をやれ」といえば、「やり」、「やるな」といっても「やって」しまうのが、人の無意識の意識なのである。

別の言葉でいえば、これを「してはいけない」といわれて、「しない」ようにしていても、実際は「やる」方向に自分自身を導いているという驚くことがあった。「やれ」といわれて、気が進まず、「やらない」気持ちでいても、無意識の世界では「やる」方向にすすんでいることが多々あるものだ。

自分は意識的に行動していると思っていても、実は受動的に行動させられている。
私は、今も意思と意志をもって行動しているだろうか?!

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