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【#232】起きなさい(メッセージの断片集74)

4月7日(日)の様子

 春を思わせる暖かい日曜日でした。(それでも2日後の今日は、また雪が降っています・・・)講壇に立った時、Dさんの顔が見えて「お!!」と嬉しかったです。そして岡山からの大学生H君が自転車でさっそうと集われたことも感謝です。さらに言えば、私と同じようにDさんやH君の存在を喜んでおられる、毎週礼拝に集う皆さんがおられることも大きな喜びです。

 また目には見えませんが、スマホの向こう側には紋別の皆さんがおられます。入院されているRさん、光熱が出たというKさん、ライブ配信や録画で礼拝に参加される皆さん、しばらく休まれている方々のことも心に覚えています。先週のイースターの朝、天の御国に変えられたGさんのことを忍びつつ、地上での礼拝は天の御国とつながっているという慰めと希望も持つことができました。

 礼拝の中で進級式を持ち、午後からは今月末にあるK君の結婚式の練習をしました。花嫁役、花婿役、花嫁のお父さん役を担ってくださった皆さんに感謝します。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

主イエスに近づく

 ヤイロは自分のことではなく、自分の娘のことを思って主イエスの前にひれ伏してお願いしました。長血の女性は自分自身の病の苦しさを救ってくださると信じて、後ろから主イエスの御衣に触りました。前であろうと、後ろからであろうと、主イエスには救いの力が溢れています。そういう主イエスに近づいて祈る時、沈んだところから、起き上がることができるのです。

 ヤイロの名前には、「神が悟らせてくださる」「神が光を与える」という意味があります。これはヤイロの信仰ではなく、ヤイロの両親が信仰をもって祈りつつつけた名前です。「この子の人生、何があっても、必ず神が悟らせてくださる」、「心を暗くすることがあっても、神が光を与えてくださるように」と、恐らく30年程も前にヤイロの両親が祈っていたことが、今、ここでヤイロに成就するのです。

 祈りは時間を超え、場所を超えます。その日その時は私たちには分かりませんが、神は神の時に、全てのことを美しくしてくださり、分からせてくださり、光を与えてくださるのです。そういう主なる神を信じて、私たちは主に近づき祈り続けるのです。

驚くほどの主の御業を体験する

 主と共に歩む信仰生活とは、この驚くほどの主の御業を体験することなのです。驚くということ、それは自分の予想を超えるということです。驚かないということ、それは自分の予想の範囲ということです。信仰を持っていてもあれこれ予想して、シュミレーションをしているのであれば、それは本当の意味で信仰とは言いません。神を自分の枠の中に閉じ込めて、小さくしていることになります。 

 諦めるのでも、無理だとあざ笑うのでもありません。「起きなさい!」と言ってくださる復活の主がおられるのです。起き上がる力をいただき、驚くべきことを体験する4月を歩ませていただきましょう。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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