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【#16】 つぶやきから賛美へ(メッセージの断片集5)

 11月6日(日)の主日礼拝は、帰省されている方々が多く、また仕事や体調不良の方などもおられ、会堂での礼拝は「まばら感」がいっぱいでした。 ^^; それでも他の誰でもない、主がここにおられるという主の臨在の中で礼拝を捧げました。

 礼拝中に換気タイムを3回持っていますが、最低気温がマイナスになっている11月の北見なので、窓側の皆さんは寒そうでした。ご協力いただき感謝します。礼拝後は、紋別のYさんと聖書の学びをzoomで持ちました。いつもながら、あっという間に2時間以上が過ぎていきます。以下は礼拝メッセージの断片集です。

心を強くする

 最近、TさんとMさんがzoomで祈祷会に出席されています。互いに励まし合いながら、信仰に立って主に近づいて共に祈っています。感謝なことです。先週の祈祷会で互いの短い分かち合いを聞いていて、「主は確かに生きておられるなあ!」と思わずにはおれませんでした。先々週のMさんの不安や思い煩いに対して、確かに主イエスが働いておられることを皆で確認しました。またTさんが再び働きに行かれたこと、またお母さんの状況を聞きながら、「これも主だなあ」と主を崇めました。
 その祈祷会の中で、私は一日一章で読んでいたⅠサムエル記30章の言葉を思い出しました。「その時、ダビデはひじょうに悩んだ。・・・ダビデを石で撃とうと言ったからである。しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた」(Ⅰサムエル記30:6)。新改訳では「ダビデは彼の神、主によって奮い立った」と訳されています。
 私たちは自分で自分の心を強くすることはできません。しかし主に近づき、主の名によって祈り、礼拝を捧げる時、主が私たちの心を強めてくださり、主によって奮い立たせていただけるのです。そして希望を持って耐え忍ぶ力をも、再臨の主が与えてくださるのです。今朝も、共に集まる礼拝の中で、御言葉と賛美と祈りを通して、弱くなりがちな私たちの心を聖霊によって強めていただきましょう。

▲ 画像をクリックすると250字でメッセージのエッセンスを読むことができます。

互いにつぶやき合わない

 主なる神は、荒野で飢えないように天からマナを降らせてくれています。それなのに「マナしかない」「あーエジプトの方が良かった」とイスラエルの民はつぶやきました。あんなに奴隷の生活を苦しんでいたのに、出エジプトの恵みや与えられている恵みを忘れ、現状の不足を数え、つぶやき、不平不満を言います。神が与えてくださっているものに目をとめず、感謝もできず、神が自分の思う通りにしてくれないことを数えて、つぶやいているのです。つぶやきから何の良いものも生まれてきません。

 何度かお話しをしましたが、大阪出身の私が北海道に来た当初、マイナス20度の北国の冬をどのように乗り越えたら良いかと思い、シベリア抑留に関する本をよく読みました。北海道に来たことを、シベリヤ抑留のように思っているわけではありません。マイナス50度を下回る極寒のシベリヤの地、また厳しい抑留生活に比べれば、トイレが家の中にある、このことだけでも大いに喜んで感謝しても良いことなんだと思い至りました。 

 ▲ シベリア抑留に関して、一番心に沁みた本です。 

 ヤコブは耐え忍ぶことについて、旧約聖書の預言者たちを模範にしなさいということ、またヨブの忍耐のことも触れています。信仰に生きる者は皆、忍耐が与えられていく、私たちの信仰の先輩者はみなそうでした。もう秋というも冬の気候なので、読書の秋とは言えませんが、信仰者の伝記を読むこともお勧めします。みんな失敗し、苦難を通り、傷つき、不条理を味わい、そしてそういう中で忍耐が養われています。そして最終的にはつぶやき合うのではなく、「主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だ」という賛美に変えられていくのです。

今日も主の恵みと慈しみが追いかけてくる1日でありますように。

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