見出し画像

【#170】いのちは輝く(メッセージの断片集55)

11月12日(日)の様子 

 今年一番の冷え込みになったと思われる日曜日。最低気温はマイナス4.5℃、最高気温は6℃だったとのこと。そりゃあ寒いはずです。旭川や道北では「おおー」っと思うほどの積雪があったようです。雪が積もると寒さも少し和らぐのですが。めちゃくちゃ暑かった今年は、めちゃくちゃ冷え込むだろうなあと予想しています。(今回のTOP画像は、オンネトー湖です。これだけしかなかったらちょっと難しいですね)

 紋別の礼拝には、おそらく教会の礼拝に集うのは、30年以上ぶりになるかと思われる方々が集われました。飛行機の関係で早めに教会を後にされたそうですが、様々なことがあった先週、賛美の中に座しておられる主なる神が、暖かい大きな御手で包んでくださったことと信じています。

 午後からは三浦綾子読書会の虹の会で、『雪のアルバム』を読みました。自己中心の自分に気づくこと、もう一つの道があることと、互いに重荷を負い合うこと、待ってくれている存在、赦されているということ、「会いたかった。本当に会いたかった」という言葉の大きさなどを分かち合いました。いよいよ終わりに近づいています。

 読書会後は紋別にいるYさんとzoomで聖書の学びをしました。びっちり2時間なのですが、いつもあっという間に過ぎていきます。ヨハネ11章に感動しました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると250字でメッセージのエッセンスを読むことができます。

知恵が与えられる

 「いのちを勝ち取る」というのは、敗北の人生にはならないということでしょう。永遠の命を生きているということ、平たく言えば、どんな中でも生き生きしていること、「生まれてきて良かった」、「生きてきて良かった」と言える人生、それが「いのちを勝ち取る」ということでしょう。

 人災、不可抗力、理不尽、どうしたら良いのか分からないものを抱えることがあります。また信仰の戦いをしている兄姉もおられるでしょうか。主イエスは「大丈夫、いろいろと心配しすぎなくてもいい、上よりの知恵を与える」と言われます。試練は試練で終わりません。主の知恵が与えられていく時、ピンチだと思っていた、試練だと思っていたことが、むしろ主を証しする機会、神が生きておられることを知ることになります。その時、私たちのいのちは輝くのです。

忍耐が与えられる

 我慢と忍耐は異なるとも言えるでしょう。我慢は自分の気持ちを抑え込んでいる状態で、そこには希望がありません。忍耐はその状況にも意味があることを覚えつつ、待ち望んでいくことで、そこには希望があります。

 主が与えてくださる忍耐とは、嵐が過ぎ去ってから平安がくるということ以上に、揺れ動く中にでも希望を持って待ち望むということです。耐えることは簡単なことではありませんし、何かを誤魔化すことでもありません。主イエスが与える忍耐は、心の深いところが慰められていくのです。

 愛する兄姉、耐えることは一人ではできません。主イエスは「あなたがた」と言い続けています。つまり主にある兄姉と一緒に天を仰ぎ続ける、共に神の言葉を聞く、主イエスの名で祈り合う、一緒に主を賛美する、その時、光や希望が宿るのです。共に主を見上げる中で、主イエスが生きているという光、希望をもって耐えていく力が与えられるのです。その時、私たちのいのちは輝くのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?