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【#196】草は枯れ、花はしぼむ

静かなうなずき

 牧師として教育機関の働きにも携わっています。この働きは1度辞意を表明し、その年度末で終える予定だったのですが、主なる神からの促しもあって翻意し、今に至るまで継続しています。調べてみると2014年から携わっているので、丸10年が過ぎたことになります。とても大切な働きなのですが、生涯続けていくものではなく、引き際を考え始めています。

 年末年始にかけて、その教育機関で学ぶある方のために様々なところに電話をかけ、いろんな対応をすることになりました。何度もzoomなどで事情を聞き、それを受けとめて実務委員会の先生方と協議を重ねるなどしました。その結果、今のところ、その方の当初の希望通りに進んでいけないという判断をせざる得ませんでした。それでも何とかその方のためを思いつつ、2つの選択肢を提示しました。

 すぐ近くにいる妻は、詳細は分からないまでも様々に対応している私に、「あなたもいろいろと大変ね」、「そこまでしなきゃいけないの?」、「年末年始の忙しい時にねえ」などなど、私自身もその通りだなあと思うことを告げられます。スケジュールの変更など、妻にもシワ寄せがいっているのも確かです。妻の言葉にうなずきつつも、「年末年始にいろいろと忙しくしたということがしんどかったのではなく、何年間に渡って関わってきたその方に対して、希望していることを進めることができなかったことの方が、自分にとっては重くてしんどいかなあ」と言いました。妻も静かにうなずいてくれました。

▲ 枯れているアップルミント(2024年1月13日)

今すぐにはなくても

 昨年からほのかな香りを楽しませてくれたアップルミントが、とうとう枯れてしまいました。耐寒性は強いということでしたが、マイナスの気温は別かもしれませんね。「草は枯れ、花はしぼむ」、まさにそうですね。

 大学生の時に、三浦綾子さんのエッセイで知ったルイ・アラゴンの言葉、「教えるとはともに希望を語ること。 学ぶとは心に誠実を刻むこと」を時折り思い出します。単なる夢物語ではなく、どんなところを通ったとしても失望に終わらない希望。腐らないで、恨まないで、高ぶらないで、悲劇のヒロインにもならないで、様々な出来事を通ったからこそ心に刻まれていく誠実。むしろ今回のようなことを通してこそ、本物の希望や誠実が養われていくことを切に願い、祈るものです。それが今すぐにではなく、たとえ数年後、10年後であったとしても。

 さあ、明日は主日礼拝です。「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:8)とあるように、枯れたと思うところ、しぼんだと思うところでこそ、永遠に立つ神の言葉によって共に立たせていただきます。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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