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【#55】まぶしい北見の2月(メッセージの断片集17)

2月5日の様子

 「日射しがまぶしい北見の2月が好きです」と何気なく言われたIさんの言葉を聞いてから、厳しい冷え込みの続く2月に対する見方が変わりました。もしどんよりしている日々が続いていたら、内地出身者がなりやすいと言われる冬鬱になっていたかもしれません。もう天国に行かれたIさんに感謝をしています。

 そんな2月最初のまぶしい日曜日、ライブ配信で参加している紋別の皆さんを意識しながら、心からの礼拝を捧げました。紋別の教会には約3ヶ月、Y神学生が実習のためにおられ、今週から講壇の上に立つ説教者はいません。それでも55インチのモニタに映る北見の礼拝と一緒に礼拝を捧げているその真ん中に、確かに主イエスはおられます。

▲ 礼拝の中で賛美した「In the Secret〜静けさの中で」

 北見では礼拝後、感染対策をしながら久しぶりに昼食をご一緒し、恵みの分かち合いの時を持ちました。皆で一緒に食事をするということ、恵みを分かち合えるということは、豊かな味わいだなあと思います。5つのパンと2匹の魚を感謝して裂かれた主イエスとそれを分かち合う弟子たちの姿が重なります。

 そして年に一度の教会会議(昨年の活動報告と決算、今年の指針と予算案)を持ち、信仰と希望と愛をもって賛美と祈りを捧げました。2023年、素晴らしいことがもう始まっていることを感じました。休憩時間に、Mさんがこの日のために作ってきてくださったケーキも美味しくいただきました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると250字のエッセンスを読むことができます。

復活の主イエスを証しする

 函館では朝早く、「イガ〜、イガ〜」とイカの移動販売がなされていたそうです(「イカ」ではなく「イガ〜」と言うそうです)。またある街では魚屋さんが車のスピーカーで「サカナが来ました!」とアナウンスするそうです。「魚屋が来ました」とは言わないで「サカナが来ました!」とアナウンスすると、人々が集まって来るそうです。目当てとなるのは魚屋でも、魚屋のおじさんでもなく、とれたてピチピチの魚だからでしょう。

 私たちは「キリスト教」を伝えるのではなく、「キリスト」を伝えるのです。キリスト教の救いを説くというよりも、キリストが私を救ってくだったことを証しするのです。キリストについて説明するのでではなく、自分自身の人生に確かにキリストは生きて働いておられる、キリストご自身を証しするのです。

 気分を盛り上げるもの、楽しいこと、美味しいこと、そういうことは沢山あるでしょう。しかし人は神によって造られたから、神によってでしか埋めることのできない心の隙間があります。そこ埋め、満たす救いは、主イエスによるのです。だからこそ私たちは、復活の主イエスを証しするのです。

▲ 「衣のすそにでも」を久しぶりに賛美しましたが、高かったですね。

聖霊に満たされて大胆に語る

 肉の力、自分の力で証しをするのではなく、聖霊に満たされて証しすることが大切です。聖霊に満たされると、福音を語る力が湧いてきます、そして聖霊は私たちに愛と知恵も与えてくださいます。

 聖霊は私たちを証しするように励ましますが、悪の力は伝道させまいと私たちに働きかけます。時にあらゆる理由をつけて私たちの内側に、「いつか、そのうち、近いうち」、「やがて、近々、折りを見て」という思いを与えます。そして「遂に、とうとう、やっぱり」・・・と福音を語る機会を失ってしまうかもしれません。だからこそ聖霊に励まされて、時が良くても悪くても、福音を宣べ伝えていきたいのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。


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