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【#209】余韻に浸る

言葉を失うほどに

 今月初め、所用のために何度かメールのやり取りをした中に、以下の文言が含まれていました。

◯◯先生からメールをもらうとすごく嬉しいです。
先生が元気で頑張っておられるのが嬉しいです。

 こんな言葉、久しく聞いたことがありません。しかも敬愛している先輩牧師、F先生からいただきました。他にも謙遜な人柄が滲み出ている言葉が並んでいます。つい1ヶ月ほど前、「K先生のように聖書を深く読んで解き明かし、F先生のような人柄を兼ね備えた牧師になりたい」とある神学生が私に話してくれました。「あー、分かる、分かる」と、大きく頷いていました。

 こんな言葉をかけられたら、2月はこの言葉をおかずにして白いご飯を食べられると思うほどです。こんなもったいない言葉に対するお礼を言いたのですが、返信に対する返信であったこと、どのように返信したら良いのか、少し言葉を失っていて、今も余韻に浸っているという感じです。

花を咲かせるような

 「昨年のシクラメンがやっと咲いてきた」と、妻が教えてくれました(TOP画像)。去年、咲いている花びらの美しさに、思わず指を出して触れていたシクラメンです。栄養もやりながら、よく2年目も咲かせたなあと、妻のことを偉いなあと思います。2月11日の礼拝では、講壇の横に置かれ、皆さんと一緒に天地を造られた神を賛美しているようでした。(礼拝では「この世はみな」を賛美しました)

 三浦綾子さんの「長い間その人を慰め、励まし、絶望から立ち上がらせる言葉を、胸にたくさん蓄えておかねばならない」という言葉が、先週の土曜日と日曜日に分かち合われました。時には嫌な言葉、傷つけられた言葉、ひどい言葉が心の中にリフレインするものです。しかし慰め、励まし、絶望から立ち上がらせる言葉は、その人の人生に花を咲かせるようなものかもしれません。どうせなら、そういう言葉の余韻に浸っていたいものです。

 F先生の心には、主なる神様から慰められ、励まされ、立ち上がらせてもらった言葉が、きっと多く蓄えられているからこそ、人に対してもそのような言葉が自然に出てくるのかなあと推測しています。

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美の霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 コロサイ人への手紙3章16節

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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